医療AIに取り組むトップランナーインタビュー
大きな部屋に医師や看護師が集まり、スクリーンに映された生々しい手術映像を観る――医療ドラマでは、そんなワンシーンが描かれることがある。しかし、これはあくまでフィクションだ。実際に直視下手術の様子を真上から撮影しても、映るのは執刀医の頭部ばかりで、術野はほとんど映らない。生の手術の一部始終をきれいに撮影するのは困難なのだ。
慶應義塾大学病院で形成外科医を務める梶田大樹特任助教は、AMED事業を通じて光源とカメラを一体化した「マルチカメラ搭載型無影灯」を開発し、こうした問題の解決を目指している。この特殊な無影灯を用いると、最初から最後まで術野の映像を撮ることができるという。正確な手術映像が撮影できるようになると、手術現場の未来はどのように変わるのだろうか。梶田氏に、開発の経緯や展望を伺った(後編はこちら[手術動画の自動取得で手術手技をオープンに])。
なぜこれまで、手術映像を撮影するのは難しかったのですか。
内視鏡手術や顕微鏡手術は、術野をモニターに表示できるので問題ありませんが、形成外科などの直視下手術をモニター表示するためにはカメラ撮影が必要です。しかし、手術室にカメラを設置して撮影しても、術野が執刀医の頭や体に隠れて良い映像が取れません。執刀医が小型のウェアラブルカメラを頭部に装着して撮影を試みた事例もありますが、術野を取るには画角が広すぎる、無影灯が明るすぎて白飛びする、バッテリーがもたないといった問題があり、実用的ではありませんでした。
手術を直接見学する場合、限られた人数しか術者の隙間から術野を覗けないため、非効率です。この状況は、初めて全身麻酔手術が行われた約170年前とほぼ変わっていないといえます。
梶田先生が開発された「マルチカメラ搭載型無影灯」とは、どのようなものなのでしょうか。
術野を撮影するためのカメラの最適な位置とは、無影灯がある位置です。そこで、無影灯とカメラを一体化させれば良いと考えました。無影灯には光源がたくさんあり、そのいずれかが必ず術野を照らしています。それぞれの光源ユニットにカメラを設置すれば、患部を照らしている光源のカメラが患部を撮影しているはずだと思ったのです。
カメラの位置については何度か改良を重ねて、現在はそれぞれの光源ユニットの真ん中に設置しています。これだと無影灯の位置を動かしても、光源と一緒にカメラも動き、カメラが必ず術野を映している状態になりました。無影灯とともに給電するのでバッテリーの心配もなく、10時間以上かかる手術でも撮り続けられます。
複数のカメラで撮影した映像は、どのように一つの映像にまとめるのでしょうか。
映像の処理については慶應の理工学部と共同で、外科医の「手」などを認識するプログラムを開発しました。術野が映っている場合、同時に術者の手も映っている場合が多いためです。このプログラムを利用し、手が映っている映像を自動的に選択してつないでいくことで、術野が頭で隠れる瞬間に別の映像に切り替え、最初から最後まで術野だけを映した一本の映像にすることができました。マルチカメラ搭載型無影灯とこのプログラムを使い、たこ焼き作りを撮影したサンプル動画をぜひご覧ください。
さらに、理工学部が行っている映像から一部の対象を消す「隠消現実感」の研究を応用することで、術者を透明にして、自由な視点で術野を見られるような映像が作れるかもしれません。長期的には、このような研究も行っていきたいと考えています。
効果がとても分かりやすい動画ですね。この画像切替のシステムで実際の手術を撮影した映像の仕上がりはいかがでしたか。
実際に手術に参加しているような体験ができる映像が撮れたと思います。手術の全プロセスを記録した映像自体がこれまで存在しなかったので、それだけでもすごい価値がありますね。ただし、長い手術をずっと見るのは難しいので、無駄なシーンを省いて重要な場面だけを切り出すような技術は必要だと感じました。エンタメの領域では、たくさんあるビデオ素材から適切なものをピックアップする技術の開発が進んでいるので、将来的には手術動画にも応用できる可能性があると思います。動画を見る医師の目的によって切り出される場面が変わるようなパーソナライズもできるといいですね。
光源にカメラを設置したために照度が落ちるなど、手術の妨げになるようなことはありましたか。
今のところは手術室にあるほかの無影灯と併用しているので、むしろ明るいです。マルチカメラ搭載型無影灯だけで難なく撮影するためには、ライトを追加するなどの改善が必要かもしれません。術式に関しては、一部の光源がカメラに替わっているだけで、医師は普段と変わらない状態で手術を行えるので、手術の邪魔になるようなことはなさそうです。
カメラは性能の高いものを用いているのでしょうか。
今使っているカメラは4Kなどの高画質というわけではなく、通常のカメラです。もちろん4Kや8Kになるとより可能性は広がると思いますが、今までは術野そのものが撮れていなかったので、まずは術野をきちんと撮れる製品を作ることが大切だと思います。医師の後頭部を4Kで撮っても仕方ないので。
現在の試作品に、今後改良を加えていきたいところはありますか。
試作品はスタンド型なので、小回りがあまり効かない、土台が大きくてスペースを取るなどの理由ですべての手術に使えないという問題があります。吊り下げ型になると使用の可能性は広がりますが、天井から作り変えないといけません。こればかりは私だけの力ではどうにもならないので、企業や大学と協働していきたいところです。
撮影された手術映像は、どのような場面での活用が考えられますか。
たとえば、自分の手術を見返して反省点や改善点を見つけたり学会発表で公開したりすることで、医師全体の技術向上につなげられます。 また、これまで若手医師向けの教育用途の手術動画はありましたが、その多くは、動画を撮影するために行われた、型通りの綺麗な手術の一部を収めたものでした。実際の手術は型通りには進まないので、特に形成外科のように患者ひとりひとりのアプローチがことなる手術を学ぶ上では、実際の患者に行った手術動画は有効な学習素材になると思います。音声認識の技術と組み合わせれば、医師が指導する音声を自動で字幕表示するなど、手術しながら自動的にコンテンツが出来上がるようなしくみも作れるかもしれません。
手術動画をインターネット上で閲覧することもできるようになるのでしょうか。
そうですね。ウェブ上に手術映像ライブラリを作ることで、これまで限られた人しか見られなかった手術動画を世界中に共有できるようになると思います。手術を学ぼうと思うと、普通は実際の手術を見るしか方法がありませんが、若手医師もベテラン医師も、別の医師がどのような手術を行っているかを知るのは困難です。「ゴッドハンド」と呼ばれるような世界の名医のライブ・サージャリーは、参加費が10万円を超えることもあり、一部の人しか参加できません。手術映像をウェブ上で共有すれば、多くの医師が、世界中の匠の技を自宅や病院で学べるようになるでしょう。また、映像が残っていれば先生が定年で引退された後でも、後世の若手医師に名医の手術を伝えることができます。これはものすごく価値のあることだと思います。
ほかにも動画の活用場面はありますか。
ドライブレコーダーのように記録しておくことで、万が一医療事故があった時に見返すことができるようになります。また、手術を受けた患者さんに、自分がどのような手術を受けたかを見せることができれば、より手術の透明性が向上すると思います。
これまで、医療事故が起きた場合に備えて手術動画を撮影しておくことは全くなかったのでしょうか。
ほとんど行われていないでしょうね。カメラが設置された手術室はよく見かけますが、やはり良い映像が撮れないので、使われずに隅に追いやられている場合が多いです。映像を撮影しやすい内視鏡手術などでは、第三者が動画を見返して評価するようなことが行われていますが、直視下手術では有用な記録映像がないため行われていません。手術のどの行程に誤りがあったかは分からず、カルテや医師の記憶を頼りにミスを判断するしかないのが現状です。人の記憶は曖昧なので、長時間の手術となると細かいところまで覚えているのは困難です。動画で記録が残っていると、より的確に原因を追究できるようになるでしょう(後編に続く)。
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