医療現場での課題解決に向けて取り組む、起業家医師(アントレドクター)にお伺いするインタビューシリーズ
人工知能(AI)を用いた画像診断支援ソフトウエアの開発が進んでいる。厚生労働省「保健医療分野におけるAI活用推進懇談会」報告書では、2020年に「頻度の高い疾患について AIを活用した診断・治療支援を実用化」としており、今後、医療現場での導入が進んでいくと考えられている。
東京大学医学部医学科を卒業後、日本赤十字社医療センターで研修医をつとめ、救命救急センターと離島の医療でキャリアを積んだ後、2017年にインフルエンザの画像診断AIの開発を行う医療ベンチャー「アイリス株式会社」を立ち上げた沖山翔氏に、現状の取り組みとその経緯について話を聞いた(前編はこちら[「匠の技」でインフルエンザを迅速診断])。
AIの発達により、今後、医師の働き方はどのように変わるとお考えでしょうか。
今後、医師は、患者が治療方針を決定する際のサポートにおいて、より高い価値を発揮する存在になってくるのではと思っています。診療の現場は、よく「医師側」と「患者側」に分けられます。しかし別の見方をすると、サイエンスとしての「医学」と、アートとしての「医療」に分けることもできます。
そしてこの分け方において、AIは「医学(サイエンス)側」として情報の整理を行い、プランA、B、C……と治療候補を出力する役割を果たします。一方で医師は「医療(アート)側」として、AIが出力したプランのどれを選択するかにあたって、より患者に寄り添い、治療方針をどのように選択していくか、という部分が際立つようになってくるのではないでしょうか。
ニュースではよく、AIが医師を代替するかのように騒がれますが、AIは「医学」側で単なるツールに過ぎません。AIが得意なことは情報の整理と提示ですので、ロジックの延長でしかないのですよね。いまのAI技術の先には、アートとしての「医療」はありません。むしろ、AIが適切に「医学」の領域をカバーして情報を整理してくれるのであれば、医師は安心して医療側に専念することができるわけです。こういう棲み分けは一つの理想だと思います。
今後、沖山先生はどのような研究を続けていきたいとお考えでしょうか。
「医療とは何だろう」というのがずっと自分の中で大きな問いとしてあり、これからも突き詰めていきたいと考えています。どう考えても医療は、ただ病気を相手にそれを治すことだけではありません。
そう思うに至った原体験は、聖路加国際病院の日野原重明先生の医療の形を見たときでした。聖路加の緩和ケア科にいたある末期の患者さんは、普段は痛みがとれず、ずっと心がふさいでいたのですが、日野原先生と会って握手する瞬間にだけ顔がほころぶんですよね。聖路加の緩和ケア科にいる医師は皆、非常に優秀な方たちばかりですが、そのようなことができるのは日野原先生だけでした。
緩和ケアで目指していることはその人の心の痛みをとることであって、その人を笑顔にすることですよね。日野原先生のような「人間力」でその患者の心の痛みを取れるのであれば、それは緩和ケアの本質そのものじゃないですか。医学部教育では教わらないながら、人間力も医療の大事な構成要素だと感じさせられたのです。
都心の病院で行っている最先端の治療も医療だし、沖縄地方などに残っている、シャーマンと相談して治療方針を決めるというのも医療、日野原先生の握手も医療として成り立っています。色んな現場の医療がありますが、研修医のときの私はサイエンスとしての「医学」だけを見て、それが医療だと思ってしまっていました。では何が医療の本質なのかというのを考えたときに、私はやっぱり「人を幸せにすることだ」と思うようになりました。これが医療のゴールで、その手段として、検査や治療、そして日野原先生の握手や人間力があると考えたのです。
確かに、医学だけでは患者を満足させることはできませんね。
はい。今日現在の医学では治せない病気もある中で、どうしたらその人は少しでも幸せになれるのか。それを考えていた時、人は自分の幸せを、周囲をみて決めがちだということが気になりはじめました。例えば手術の結果、命は助かったけれども右手に麻痺が残ったという場合でも、そのときの執刀医が世界一の腕をもつ医師だったら、一命を取り留められたことが幸せだと感じるかもしれません。この先生による手術でなかったら死んでいたわけで、麻痺は受け入れようと。
でも、世界一の医師に手術してもらう予定だったのに、スケジュールがずれてしまい平均的な医師の手術で麻痺が残ったとしたら、同じ麻痺だとしても「もしあっちの先生だったら…」と不満・不幸に思ってしまいますよね。人間の幸福度は、純粋な「結果」だけではなく、それまでの「経緯」にも大きく影響されます。自分の置かれた状況だけでなく、周囲と比較した状況からも幸福度は決まります。それは、その人が悪いのではなくて、人間というのはそう思ってしまうものだということです。
その人が幸せになることを医療のゴールに据えるのであれば、私は、医療水準の格差そのものが幸福度を下げている要因だと感じることがあります。そのため、診療や診断を標準化することはとても大切です。極論を言えば、下にそろっていてもそれは絶対に悪いこととは言い切れないケースもあると思うんです。格差がないことそのものも大事で、皆がゴッドハンドである必要はない。どこでも、同じ質の医療が提供されるということは、それ自体に価値があると考えています。
とはいえ、医療の向上のためには上にそろえたい。そういう世界を実現するために、AI技術は有効なツールです。従来のように、教育を通じてゴッドハンドを3万人養成するというのは現実的に無理だけれど、ソフトウエアだったら一瞬で複製できてしまう。囲碁のプロ棋士になるには十年以上の訓練が必要ですが、プロよりも強いAIを全員がスマホに搭載することはできます。「インフルエンザ濾胞を見分ける」という匠の技をもつAIを開発し、それを医療機器として普及させることは、匠の医師がもつ「目」を瞬時に生み出すことなので、医療現場に大きな価値を届けられることと考えています。
こういう新しいテクノロジーを用いることで、より患者さんが幸福だと感じられるような医療に近づけたらと思っています。
AIの発展によって、未来の医療の形はどのように変わっていくとお考えでしょうか。
これまでの医療の形は、病院の中で医師が検査や診察をして、そこで完結するというモデルでした。しかしそのモデルにこだわる必要は必ずしもないと思っています。例えば自宅で医療が行われるような世界を考えたとき、普通、それは映画の中のものにすぎないと思ってしまいがちです。しかしICT技術の発展により、そのような世界は徐々に近づいてきています。
今までの技術というのは、何かをアドオンする際、人間のリソースや時間を奪い合う必要がありました。しかしAIやICTは限界費用がゼロですので、アドオンでコストが必ずしも増えないんですよね。この特徴は、本質的に医療とすごく親和性が高いと思っています。
例えば今、AIスピーカーが普及しています。この技術を用い、「アレクサ、昨日先生に診てもらったこの頭痛なんだけど、今ちょっと症状が変わってきて、こういった痛みが出るんだけど、どうかなぁ」と話しかけると、そのデータが病院に届く。担当医の電子カルテにアラートが出て、本当に問題がある場合は、改めて病院を受診してもらう指示が医師から出る、という情報共有の形が考えられます。
つまり現状のものの何かを奪って代わりにというモデルではなく、現状を100パーセント保った上でさらに追加するといった医療の形が成立します。AI技術はこうした性質が強く、何かを代替するのではなく、より時間を節約するためのツールだと感じていますし、他の業界と同様、医療にも徐々に取り入れられていく技術だと思っています。
関連記事
「匠の技」でインフルエンザを迅速診断ーアイリスCEO沖山翔氏に聞く(1)
「今のAI技術の先には、アートとしての「医療」はない」ーアイリスCEO沖山翔氏に聞く(2)
宮内 諭 m3.com編集部