国立病院機構新潟病院は3月27日、同病院臨床研究部医療機器イノベーション室長の石北直之氏が発明した3Dプリント可能な人工呼吸器モデルの研究成果を用いて、世界の医療現場における生命維持活動を支援するプロジェクト「COVIDVENTILATOR PROJECT」の開始を発表した。このたび、3Dプリント人工呼吸器モデルの特徴や機能、開発の経緯や、プロジェクトの現状と今後の展望について石北氏に話を伺った。(2020年4月30日取材)
「3Dプリント人工呼吸器モデル」の特徴について教えてください。
一定の要件を満たす3Dプリンタとネットワーク環境、プリント原料のABS樹脂があれば、世界中どこでも製造可能な点が一番の特徴です。人工呼吸器の4つの部品(ボディ、弁、螺旋バネ、圧力調節ねじ)を3Dプリント後、気管内挿管チューブや回路用人工鼻フィルタ、エアーコンプレッサー、酸素ボンベなどの汎用品と組み合わせて使用します。
米国やイタリアなど各国で人工呼吸器の不足が叫ばれていますが、この人工呼吸器モデルは材料さえそろっていれば4時間弱で製作することが可能です。また、国際物流の封鎖によって外国から人工呼吸器を持ち込むことが難しい状況であっても、Eメールでデータさえ送れれば現地で製造することができます。
今回発表されたプリントモデル部材は、医療環境の整っていない場所で人工呼吸器を利用する為のミニマムな機能になっていると伺っています。
はい、今回発表した3Dプリント人工呼吸器モデルは、基本的に電源が無い状況など、極限状態での生命維持に焦点を当てたミニマムな設計を想定しています。細かい仕様は下記のとおりになります。
本人工呼吸器モデルは、空気が肺に流入して圧力が高まると自動開弁し、圧が下がると自動閉弁する構造になっています。そのため、キャンプ用品のフットポンプで空気を流すことで、電気を使わずに安定した呼吸サイクルを得ることができます。
構成部品にセンサ類がありませんが、1回換気量、吸入圧などの動作保証(モニタリング)はどのように行われるのでしょうか。
胸の上がり具合と聴診で十分管理可能ですが、病院に備わっている既存のモニタやセンサを組み合わせる事で、より安全に管理する事が可能です。
3Dプリンタで人工呼吸器を印刷するというコンセプトはどのようにして生まれたのでしょうか。
私はこれまで、けいれんで苦しんでいる子供を少しでも早く楽にしてあげたいという想いから、通常は静脈注射で行われる麻酔をガス吸入で行うための機器「嗅ぎ注射器 (VapoJect)」を考案し、岩手県にある企業の協力の下、プロトタイプの開発にこぎつけ、ラットや小型犬など小動物を対象に臨床試験を行ってきました。
この機器の「軽量かつ動力を必要としない」という特徴から、宇宙空間で活用できないかという話が出てきたのですが、薬事承認が下りていない医療機器を宇宙船に搭載することはできないという問題があり、そこから前に進めることができませんでした。
宇宙での活用を諦めようと思った時もあったのですが、2014年にNASAが3Dプリンタを宇宙に打ち上げる計画を発表したのを聞いて、「宇宙船に積めないのなら、現地で作ればいいのでは」と発想を切り替えて、製品デザインを一から見直すことにしたのです。
宇宙用にデザインを改良する作業、特にバネの開発には苦労しましたが、プロジェクト立ち上げから4年後の2017年1月14日、嗅ぎ注射器の主要構成部品である人工呼吸器を宇宙ステーションへEメールでデータ転送し、宇宙で3Dプリントする「Eメール人工呼吸器 (E-mail Ventilator)」の製造および無重力環境下での動作試験に成功しました。
つまり、地球からどんなに離れた場所であっても, 人の命を救う医療機器をオンデマンドで転送可能な技術が確立されたことになります。これが後の「COVIDVENTILATOR PROJECT」へと繋がっています。
宇宙での利用を想定していたんですね。これを「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対応に使おう」と思いついたのはいつ頃ですか。
Mars Academy USAで共同研究を行っていたフランス人の医師Jeremy Sagetから、3Dプリントできる人工呼吸器がCOVID-19による医療機器不足問題の解決策になるのではないか、との相談がありました。本機器のプロトタイプは空気圧(圧縮空気等)のみで動作し、電力を必要としない極小サイズ(約30グラム)の3Dプリント可能な人工呼吸器モデルであることから、単回使用で,酸素混合できる従圧式人工呼吸器としてCOVID-19による肺炎に対して有効利用が可能と考えられたのです。
発表では、人工呼吸器の製造データを無償提供するということでした。誰でも製造が可能ということでしょうか。
当初は世界的な危機ということもあり、3Dプリンティング用の製図データを無償で提供しようとSNSに投稿しました。これは、純粋な気持ちが先に立ち、すこし早まってしまったと感じています。というのも、臨床実用化のためにはたくさんのハードルがあることが分かったためです。まず世界中のどの国でも医療機器として性能確認と承認が済んでいないこと、3Dプリンタで作成したパーツの精度管理も必要であること、そのために無償提供の契約の前に、医療機器としての性能試験(非臨床試験)が必要であること、などです。
その後、工業的な品質管理の第一歩として、3Dプリンタの精度とプリンティング技術を評価するため、サンプルデータを公開し、できあがったサンプルの写真をSNS(FacebookやTwitter)に#covidventilatorのハッシュタグをつけて投稿していただきました(サンプルデータ印刷の募集は4月8日に終了)。現在は、医療事故を防ぐため、本データの提供をすることはしない方針へと切り替えています。
これまでどれくらいの数を検品して、その中の何割くらいが合格になっていますか。
プロジェクト立ち上げから約10日間で400人以上がFacebookページに集い、多種多様な機種を使ったサンプルデータが100件以上も集まりました。
データの多くは高品質で、一般ユーザーでも人の命を救う医療機器を製造できる可能性が示唆されました。一方で、指定した素材以外のデータも寄せられました。提示したABS樹脂については長時間耐久性などの検証ができていますが、たとえばPLA樹脂は造形が容易でも、バネは数分で使い物にならなくなることが実験で明らかになっています。指定素材以外の造形物の混入は医療現場で確認の方法がなく、死亡事故に直結する恐れもあります。そのため、徹底した品質管理が今後の課題です。
SNSへの投稿で検品するしくみは面白いですよね。SNSを見てプロジェクトの存在を知った人も多いと思います。
一人でも多くの人に知ってもらいたいので、情報発信についてはいろいろ試行錯誤しています。3Dプリンタで製造した人工呼吸器の長時間稼働実験をYouTubeとニコニコ生放送でライブ配信することも始めていて、実際に動いているところを既に多くの方に見てもらっています。YouTubeは、3月末時点でチャンネル登録数が1000名を超えました。
配信動画の背景に広告スペースを作ったり、製品名へのネーミングライツ制度を導入したりして、今後の研究費に充てることも検討しています。
「人工呼吸器は医療機関や医療従事者に届けば十分」という考え方もあると思います。「一般の人に知ってもらおう」と活動される意図はどこにあるのでしょうか。
研究資金の調達なしにプロジェクトの実行は不可能だからです。
品質を満たさない人工呼吸器をいくら製造したところで、患者さんを助けることはできません。そのため、デバイスをより安全なものに改良するための研究は今後も欠かせません。また、日本を含む世界各国で医療機器承認を得ること、そして医学的妥当性の検証とその後のフィードバックのための臨床研究のしくみを作ること、これらを実行するためには多額の費用が必要になります。
研究資金獲得に向けて国への働きかけを準備中ですが、新潟病院から本プロジェクトへの寄付の呼びかけがあった通り、一般の方や企業にも本プロジェクトのことを知ってもらい、応援してもらいたいと考えています。
本プロジェクトにはどのような体制で取り組まれているのでしょうか。
広島大学トランスレーショナルリサーチセンター・バイオデザイン部門長の木阪智彦先生と私が共同代表を務め、統括アドバイザーとして新潟病院院長でPMDA審査員を務めている中島孝先生にご協力いただいています。
また、医療・薬事・機器開発の知見の集約と共有については、ジャパンバイオデザイン共同ディレクターの前田祐二郎先生と木阪先生と私が医工連携チームとして活動しています。
製品開発、および品質管理に関しては、「嗅ぎ注射器」の初期開発段階から協力いただいている元株式会社ニュートン(現オーケー光学)の藤田隆行氏、ものづくりのエキスパートである浜野製作所の山下大地氏に協力いただいています。
他にも、プロジェクトの運営事務局としてNASA公式プログラムハッカソンローカルリード(オーガナイザー)の鳥山美由紀氏、インドでのリバースイノベーションを見据えた取り組みをインフォブリッジHDグループの繁田奈歩氏、寄付や取材の受付窓口として新潟病院の企画課・管理課など、様々な方に関わってもらっています。
最後に本プロジェクトの今後の展望についてお聞かせください。
人工呼吸器が必要な場所に、その場で3Dプリント可能な人工呼吸器を届ける、それも動力源の必要のない人工呼吸器を――。日本発の技術で世界の多くの人を助ける、一⽇でも早くそれが実現できればと願い、「COVIDVENTILATOR PROJECT」の成功にむけて頑張るつもりです。
石北直之(いしきた なおゆき)
新潟病院臨床研究部医療機器イノベーション室長
※プロジェクトの進捗は、下記ページにて随時更新しています。
COVIDVENTILATOR PROJECT
※取材協力:百瀬達也@モモ・グランパ(臨床工学技士・呼吸療法認定士)
山田光利 IPTech特許業務法人/テックライター
神戸を拠点にデジタルヘルス領域の取材や知財活動支援を実施。AI医療機器や医療系サービス・アプリの活用事例や今後の動向を中心に執筆予定。中国ITや国内外のスタートアップの動向を継続的に取材しており、2020年2月からオンラインで「中国医療スタートアップをわいわい調べる会」を主宰している。
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