東京⼤学未来ビジョン研究センター(旧・東京⼤学政策ビジョン研究センター)、慶應義塾大学メディカルAIセンター、エムスリー株式会社m3.com編集部が2019年1月から開催している「医療×AIセミナーシリーズ」のイベントレポートです。
東京大学未来ビジョン研究センターは慶應義塾大学メディカルAIセンター、エムスリー株式会社m3.com編集部と共同で、2019年9月5日に医療×AIセミナーシリーズ第8回を開催した。第8回のテーマは「医療者がゼロから学ぶ、AI・データサイエンス超入門」。文字通り、自身でゼロからAI(人工知能)のイロハについて習得し、臨床現場への応用にこぎつけた医師2人が登壇し、学習方法や苦労したことなどについて語った。
最初に登壇したのは株式会社データック代表の二宮英樹氏。二宮氏は東京大学医学部を卒業後、脳外科医として勤務していた時に、「治療しても助からない患者が多くいるが、適切な情報を届けられれば状況を変えられるのでは」と感じたという。その後、二宮氏はオンライン診療などを手掛ける株式会社メドレーに入社し、医療辞典の企画・執筆などやオンライン診療を担当する中で、データを活用した医療の標準化をやりたいと考えるようになった。別のベンチャーでデータサイエンスを学び、昨年8月にデータックを設立した。
データックは主に、4つの事業を展開している。1つめが脊椎外科に特化した問診アプリ。2つめが電子カルテに入力された内容から重要な用語などを抽出する医療言語処理技術の開発で、その他に睡眠ログを解析するアルゴリズムの開発や臨床研究関連事業を手掛けている。
このうち、問診アプリでは患者の腰痛に関して、痛みの程度やどれくらい歩けるかなどのデータを取得する。そもそも、アプリでこうしたデータを取得しようと考えたのは、データの質がとても大事だと痛感したからだという。二宮氏は「医療分野ではいざ、解析・活用しようとしても、使えない内容や質のデータが多い」と話す。
データックのアプリでは患者が治療を評価するPRO(Patient reported Outcome)を取得している。現在、医療分野の中でも画像やゲノム、血液検査などに関するデータは豊富にあるものの、PROのように患者の症状やQOL(Quality Of Life)に関するデータは世界を見回してもほとんど蓄積されていない。二宮氏は「こうしたデータを集めればおもしろいと思った。一方で、こうしたデータを収集するのはコストや手間がかかり、すごく大変。現場に役に立つものを作りたいと考えた」と話す。
このアプリを通じて取得したデータを見てみると、同じ疾患でも患者によって感じ方は大きく異なるという。例えば、腰痛が影響する項目を見てみると、睡眠や立つこと、社会生活だけでなく、性生活に関わることを上げる人もいる。このうち、性生活に関わることは対面診療では患者から聞き取るのが難しい。二宮氏は「問診アプリを利用することで、患者が何に困っているのかを把握して、治療に生かしたい。患者ごとに適した個別化医療の実現を目指している」と話す。
さらに、腰痛は患者の精神面への影響も指摘されている。二宮氏は今後について「心理的な指標を問診でとることで、それをみながらカウンセラーを紹介するなど、治療のスクリーニングにも使える。さらに今後は術後の満足度予測をしてみようと考えている」と言う。
2つ目の柱である医療言語処理事業では、自然言語処理の技術を用い、薬に関する相談に対応するチャットボットや、医師が書いた文章の中から症状や臨床病名(レセプト病名ではない)、薬剤名を抽出するエンジンなどを開発している。本エンジンはTXPMedical株式会社から全国の救命救急センターに展開されている「Next Stage ER」にも組み込まれている。「Next Stage ER」では、リアルタイムの構造化データ提示によりユーザーにフィードバックをかけることにより、診療時のカルテ入力と同時に高精度な臨床情報レジストリ構築を実現することが可能である。多忙な臨床現場において研究データを収集する難しさを克服する一つのアプローチと言える。
こうした事業とは別に、二宮氏が自身のミッションとして掲げているのが、データ解析をする人材の育成だ。自社内だけでなく、製薬会社にも育成プログラムを提供している。データックはデータの解析を請け負うこともあるが、二宮氏は「製薬企業の中にデータ解析事業部やAI事業部ができて、業界内の事情などを一番わかっているその人たちと一緒にデータ解析をするのが一番効率的だ」と育成事業の狙いを話す。
現在、データックが製薬会社に提供しているAI人材の育成プランは、メディカル・アフェアーズ部門の社員を対象としている。二宮氏は「メディカル・アフェアーズの人がAIについて学ぶことで、企画やマネジメントだけでなく、データ解析をする外部の人とのやりとりをより効果的にできるようになるだろう」と話す。
医療分野では予防や早期発見、診断、治療、といった各段階に加え、ゲノムや創薬、業務効率化といった幅広い分野でAIの活用が期待されている。実際、米FDA(食品医薬局)や欧州のCEマークでは多くの医療機器が承認されているのに対し、日本は出遅れている。ただ、こうした現状に対し、二宮氏は各国の医療制度や社会構造の違いなどを考慮すべきだと指摘する。
例えば、米国では2019年に自閉症の診断・治療アプリCognoa(コグノア)がFDAに承認された。米国では2012年ごろから同社の取り組みに関する記事が話題に登っていたのに対し、日本は医療AIサービス開発や研究のスタート自体が遅い。一方で医療は国によって制度や診療報酬体系が異なるため、ある国で承認される医療AIを、日本にそのまま展開できるとは限らない。二宮氏は「アメリカでは診断が4歳以降となるのが一般的であるのに対し、日本では3歳児健診で実施される。医療ITにしても医療AIにしても、新しい技術によって提供される価値が、既に社会で充足されているかどうかという点は重要になる」と指摘する。
同様に、糖尿病患者に対し、食事や運動の状況に合わせて最適なインシュリンの投与量を提案する米国のアプリについても、「HP上で1型糖尿病患者は数カ月に1度しか医療機関を受診できない患者が多いと記載されているが、一方で日本では医師へアクセスがいい。制度的な違いは大きい」と話す。
とは言え、AIにおいて日本が出遅れているのは確かだろう。こうした現状を踏まえ、二宮氏は「医療分野にデータの現場感がある人が増えてほしい」と話す。医療従事者からはよく、PROの信頼性について問われるというが、これに対し「今使っているデータは信頼できるのか?と逆に聞きたい。例えば血圧は24時間で変化するが、一回測定しただけのデータに意味はあるのか。機械や胎動でノイズが出る可能性もある。レセプトの病名も正しいとは限らない」と疑問を投げかける。「データをどう見るかが大事。学問が積み重なった医学という分野で医療とAIの両方を分かる人がデータを活用する必要がある」という。
とは言え、データ解析に明るくない医療従事者は何から手をつければいいのか。二宮氏は自身が実践した学習方法についても披露した。それによると、まずはテックアカデミーやユーデミーなどのオンライン講座でPythonについて知識を身に着けたという。その際には「専門のエンジニアにはかなわない。技術の進化が早すぎてついていくのが難しいと感じた」と話す。
二宮氏は「教材はたくさんある。機械学習やディープラーニングを動かすことはすぐできるようになる」とする一方で、「現実のデータは汚いし、想定と違うことしかない。実践を通じて学ぶことが大事」と話す。
さらに、「医師にとって、データ解析の能力は必ずしも必要ではない。それよりも、社会にどうバリューを生み出していくか。『イシュー度』つまり、課題の質を考えるほうが大事。課題定義がすべてだ」と指摘した。
中尚子 フリーランスライター
早稲田大学大学院を修了後、大手全国紙に入社。記者として日用品や素材、外食、ITサービスなどの業界を幅広く担当した。ビジネス誌の記者などを経験。