ツカザキ病院眼科創業者主任部長であり、広島大学大学院医系科学研究科 医療のためのテクノロジーとデザインシンキング寄附講座で教授を務める田淵仁志氏が、AI開発に必要なマネジメントのエッセンスについて語る連載コラムです。
今回で4回目になります。第1回はチーミング、第2回はフィードバックループ、第3回はサイコロジカルセーフティー(心理的安全)について述べてきました。いずれもAI開発に限らず、あらゆる組織運営に役立つ経営学の主要ナレッジです。ぜひ何度も読み返して役立ててもらえればと思います。今回は「デザインシンキング」について述べたいと思います。
デザインシンキングの定義は複雑ですが、「視覚的思考」と言えば伝わりやすいかもしれません。お互いのコミュニケーションを言葉や身振りに加えて、机の上に置いた模型や試作品を「見ながら、触りながら」行うことで、新しいアイデアや飛躍した発想を生み出そうというものです。我々医療人には馴染みはないですが、Google並みの泣く子も黙るブランドイメージを誇る「IDEO」というデザインコンサルティング会社は、デザインシンキングの手法を取り入れています。IDEOは、パソコンのマウスのデザインを最初にあの形状にしたり、自転車のヘルメットを人間工学に基づいたフォルムにしたりしたことで有名です。
デザインシンキングの大切な2つの要素を解説します。1つは多職種がチームを組んで対話を行うということ。もう一つはプロトタイプに基づいて思考や開発を進めるという点です。できるだけ早いタイミングで多職種がチームを組んでプロジェクトを開始することの利点はいくつか想定されています。例えばアイデアの多様性です。お互いが暗黙知としている“常識”が異なるために、ものすごく簡単なレベルの意見交換であっても、自分の知らない視点からの指摘となるため、新しいイノベーションの創発につながる可能性があるのです。
医師の研究の話に他の職種が入ることは現在あまりないかもしれませんが、成果を求めるのであれば、薬学だったり生物学だったり数学だったり、機械工学だったり、ひょっとしたら営業職だったりする、あらゆる職種の人達が参加したほうが良い結果につながります。やってみたら分かると思いますが、多職種との協働作業は面白いので止められません。その感覚は例えていうなら、田舎より都会の方が楽しいという感じです。なんでもありそう、より多くの人達に理解してもらえそう。そういう感覚はクセになります。
もう一つの要点であるプロトタイプの作製と利用は、デザインシンキングの根本を支えます。概念的な机上の草案ではなく、目に見える草案としてのプロトタイプが持つ力はプロジェクト参加者のモチベーションを強くします。これについても例えて言うなら、年表で学ぶ歴史と歴史マンガの違いと言いますか。史実の裏に想像力を働かせている漫画は、読み手にさらなるアイデアを誘発するキッカケになることが多いのではないでしょうか。プロトタイプは例えば建築模型であったり、最近では3Dプリンタで作製した試作機であったりするわけです。いろんな角度から模型を回して「見る」ことは、想像力を掻き立てられるし、参加者のアイデアの理解・共感がしやすくなります。模型があるのとないのとでは会議の盛り上がり方が大きく変わるのです。
例によってAIの開発とデザインシンキングがどう結びつくかを最後に解説します。AIの応用先の検討や、どのような下準備を行うのかなどの打ち合わせは、最初からアノテーターやエンジニアとするべきであることは異論をはさむ余地がありません。AI開発に携わるメンバー全員で、開発にかかる日数や目標性能などを共有した上でイメージできれば、その後必ず必要になる計画の軌道修正も正しく共有されるようになり、AI開発が最後まで到達しやすくなるのです。
プロトタイプの作製、これはAI開発にとって最も重要です。なぜならAIアプリケーションは「すぐにできる」からです。建物の模型であれ、製品の光造形3Dプリンタによる試作であれ、1日や2日ではイマジネーションを掻き立てるレベルのものは作れないのです。現実的には1週間から1か月はかかるでしょう。日数をとにかくかけない、模型をとにかく手元に作る、という方針に合わせて100円ショップで買ってきた画用紙や段ボールなどでプロトタイプを作るということもされるようですが、さすがにそれではメンバーの熱量は上がりません。
一方でAIは解析の準備が整った瞬間、最初のトライアルはたいてい数時間で終了します。私達のチームはこの最初の作業をファースト・トライアルと呼んで、共同研究先のアイデアをメールで確認した後、最初のface to faceの打ち合わせまでにファースト・トライアルを済ませて臨むようにしています。そもそもアイデアがAI識別できるようなものなのか、必要なデータ数がどれくらいか、今後どれぐらいの開発期間がかかるかなど、重要な要点について、解析結果そのものをベースに打ち合わせを行って私達のAI開発が始まるのです。第5回もお楽しみに。
田淵仁志 ツカザキ病院眼科主任部長兼広島大学寄附講座教授
大阪市立大医学部卒後、研修しながら大学院で大脳視覚生理領域に取り組み、眼科学助手就任。その後、波乱の人生に足を踏み入れる。姫路市の民間病院の眼科に着任し、自作の医療用DWHを基盤とした医療の集約化を図り、15年かけて日本最大級の眼科ユニットに育て上げる。その傍ら名古屋商科大経営学大学院で修士(経営学)とEMBAを取得。並行して進めていたDWH機械学習研究がDeep Learningにより一挙に実用水準に到達したことを契機にAIチームを創設。2019年4月、広島大学に寄附講座「医療のためのテクノロジーとデザインシンキング」を開設。ツカザキ病院眼科主任部長兼広島大学寄附講座教授として、眼科臨床、AI社会実装、医学生研修医教育の三足のわらじを履いている。