ツカザキ病院眼科創業者主任部長であり、広島大学大学院医系科学研究科 医療のためのテクノロジーとデザインシンキング寄附講座で教授を務める田淵仁志氏が、AI開発に必要なマネジメントのエッセンスについて語る連載コラムです。
皆様、はじめまして。姫路市にある社会医療法人三栄会ツカザキ病院眼科創業者主任部長と広島大学大学院医系科学研究科 医療のためのテクノロジーとデザインシンキング寄附講座教授を兼任する田淵仁志と申します。本日からAI開発に必要なマネジメントのエッセンスを10回に分けて解説していきます。
私達はこれまでにAIに関連する英語論文を12本出しており、今後も拡大予定です。臨床をメインとするチームにとってAIの臨床応用は、例えば分子生物学的研究に比べると直接的でピンと来やすいテーマであり、取り組みやすい一面があります。この連載をきっかけに、皆さんに何らかのアプローチを実際に取っていただければと願っています。
イノベーションという言葉は日本においても使い古されてしまった感があります。ただ日本の最後の頼み、一縷の望みとして、イノベーションの重要性は年々増すばかりではないでしょうか。1997年、ハーバードビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授がこのタイトルの本を出したことにより、その後の経営学は一変しました。世界中が「イノベーションのジレンマ」の衝撃に真剣に向き合ってきたのです。精緻な努力が報われない、それどころかその努力が逆効果になるという現象が企業活動で明確に存在することが明らかにされ、その理論も十分に理解できるものでした。ではどうしたらいいのか、ということにあらゆる叡智が取り組んで来たのです。
インテルのカリスマCEO、故アンディー・グローヴ氏が、クリステンセン氏のセミナーを聴いて廉価なCPU開発に思いあたり、現在の興隆を築いたことは有名です。では日本はどうだったでしょうか? SONYのFeliCaなど世界を席巻している部品系・素材系イノベーション、iPS細胞や癌免疫療法などノーベル賞を受賞した医療系イノベーション…。日本のイノベーションはクリステンセン氏以前も以後も変わらず立派に成果を出し続けています。だからこそだと思いますが、「イノベーションのジレンマ」への対応が日本ではあまりにも遅れました。「イノベーションのジレンマ」以降、世界が試行錯誤してきたことは、イノベーションの「安定的な産出システム」です。イノベーションそのものではなく、どうすればイノベーションを「作り出せる」のかという命題に取り組んで来たのです。優れた個人の奇跡的能力によって生み出されるイノベーションを現代の経営学は「非科学的な手法」とみなしています。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が「日本時代、ハードワークには自信があったが、ビジョンはなかった」と言っておられたことが個人的に強く印象に残っています。「セレンディピティ」とも呼ばれる偶然の発見に企業の未来をゆだねることは危険すぎるというのが現代経営学のエッセンスなのです。
肝心なAIの話をしましょう。私達医療系の人達にとってAI開発とは純然たる応用開発研究を意味します。数式をいじってモデル開発をする仕事は数理系の人達の仕事であり、どこに問題があるかを発見想起し、AIをどう応用して解決していくかプランすることが私達医療人の仕事です。
その立ち上がりに、限定された環境下での実現性を論文で世に問う作業は科学に立脚する私達にとっては当然の所作になります。「論文になっていないと他の医療人を巻き込めないので書いてね」というのが私の口癖です。もちろん立派な雑誌に載る必要など全くなく、論理的であることだけ伝えられたら実臨床への実装過程のお許しを得ることができるわけです。論文作成後に始まる、臨床の現場でのトライアルアンドエラーを繰り返す遠くて長い全行程のマネジメントそのものが、私達医療人にとって大切なAI応用開発となるのです。すなわちAI応用開発とは、机に一人黙々と向かってハードワークするタイプの基礎系イノベーション産生の仕事とは大きく異なり、いろいろな人たちと臨床現場で侃々諤々進めていく実装系イノベーション産生の仕事なのです。ひとことでいうと、AI応用開発は、「みんなで」やるものです。
社会実装が目的であるがゆえに、応用先を考えるヒト、AIプログラミングを組むヒト、アノテーション作業をするヒト、販売を考えるヒト、資金調達を考えるヒト、アフターサービスを考えるヒト、とあらゆる多様な職種の人達が一つのAIアプリケーション開発過程に必然的に関わってきます。「イノベーションのジレンマ」で指摘されたのは、過去の成功に縛られた強固な固定観念に固執した努力の危険性です。公的大学制度下でノーベル賞クラスの基礎系イノベーションが生まれる国であるがゆえに、実装系イノベーションであるAI応用開発に必要な環境が日本の伝統的組織には全く準備されて来なかったという視点を「イノベーションのジレンマ」の中にぜひ見出してほしいのです。
この書籍以後、世界中の企業で取り組まれたのは、チームによるイノベーション産出です。孤高の天才ではなく“普通の凡才”がどうすれば社会実装できるイノベーションを作り上げることができるのか、ということをテーマとしているのです。世界は社会に直達する実装系イノベーション創出に躍起になり、そのための知見を蓄積してきました。AI応用開発はまさに実装系イノベーションなのですから、現代の経営学の叡智がそのまま応用できる領域なのです。AIアプリケーションは天才が生み出すものでもなく、政策的なトップダウンで作るものでもありません。普通の人達のチームみんなで産んで現場で育てていくものなのです。次回以降、AI開発に最適なチーミングのための現代経営学の具体的エッセンスを解説していきます。乞うご期待。
田淵仁志 ツカザキ病院眼科主任部長兼広島大学寄附講座教授
大阪市立大医学部卒後、研修しながら大学院で大脳視覚生理領域に取り組み、眼科学助手就任。その後、波乱の人生に足を踏み入れる。姫路市の民間病院の眼科に着任し、自作の医療用DWHを基盤とした医療の集約化を図り、15年かけて日本最大級の眼科ユニットに育て上げる。その傍ら名古屋商科大経営学大学院で修士(経営学)とEMBAを取得。並行して進めていたDWH機械学習研究がDeep Learningにより一挙に実用水準に到達したことを契機にAIチームを創設。2019年4月、広島大学に寄附講座「医療のためのテクノロジーとデザインシンキング」を開設。ツカザキ病院眼科主任部長兼広島大学寄附講座教授として、眼科臨床、AI社会実装、医学生研修医教育の三足のわらじを履いている。