ツカザキ病院眼科創業者主任部長であり、広島大学大学院医系科学研究科 医療のためのテクノロジーとデザインシンキング寄附講座で教授を務める田淵仁志氏が、AI開発に必要なマネジメントのエッセンスについて語る連載コラムです。
第1回 では「イノベーションのジレンマ」が世界の企業経営に与えた衝撃と、その後どうすれば安定的にイノベーションを生み出せるのかということについて世界中が躍起になってきた、というお話をしました。第2回は「そもそも未来は予測できるのか」という大切なテーマを取り上げてみたいと思います。イノベーション創発のための基礎的なお話です。
通常の確率を超えて予測が当たる「超予測力」、そんなものがあればすがりたい、と皆さん思いますよね。私も思います。パラメータを積み上げて回帰予測することは初期値としての事前確率を導き出す役割しかなく、フィードバックを行える数値計測ができるなら、初期値はある意味なんでもいいという、ベイズ統計が最近の主流です。人間は非合理的に判断する生き物であるという行動経済学がノーベル経済学賞を多数獲得している経営学でも、ベイズ統計は主流の統計解析手法です。
リアルワールドにおいて何かしらの予測はまず外れます。観察できない、数値化できないような要素に世界は満ち溢れており、世界の全容を回帰分析だけでカバーすることは到底できないからです。一方で、現実の発生事象をフィードバックして予測式を常に更新していくことで、予測値の精度が向上していくことが分かっています。有名な例が天気予報です。年々精度が上がり、より狭い領域で、より細かな時間帯の予測が可能になっているのは、過去の予測の失敗と成功を着実にフィードバックし、更新および改善が行われているからだと言われています。
つまり超がつく予測力とは、間違いをフィードバックし、幾度となく軌道修正を繰り返すことで身につく能力であり、後天的に積み上げる努力なのです。企業経営で予測を外すことは、少なくとも担当者のクビが飛ぶぐらいの真剣勝負ですから、予測の基本概念であるベイズ統計は現代の基幹技術とも言えるのです。
ビッグデータという言葉がにわかにクローズアップされるようになったのは、2008年にGoogleが数千億回もの検索行動からインフルエンザの流行発生を正確に予測することに成功したと報告してからです。私のような生粋のデータベース屋が「データマイニング」と呼んでいたものがいつの間にかビッグデータという言葉に置き換わっていきました。クラスター分類に代表される教師なし学習がクレジットカードの顧客層の分離に成功したことで、最高級層の顧客に向けたブラックカードが誕生したという逸話に心躍らしていた頃は、もちろんGoogle検索は影もカタチもなかったわけです。
さて大切なことですが、このGoogleのビッグデータ論文は、残念ながら大いに否定されました。Googleの予測では、108週のうち100週でインフルエンザ発生を過大に評価していたと報告されています。つまり、過去のデータにフィットする数式を上手く作っても、本当の未来予測には使い物にならなかったのです。データ数が多ければどんなに強いノイズもマスクしてしまうわけではなく、結局のところデータの質も問われるということが数千億個ものデータから作られたモデルが使いものにならなかったことで改めてハッキリしたのです。
AI開発で質の高いデータを大量に集めるためのコストは莫大です。質が高いデータとはラベル(タグ)付け、所見をカラーリングしていくセグメンテーション作業、分類ミスやアーティファクト画像を除外していくクレンジング過程をしっかりと通ってきたデータのことです。AIプロジェクトの度にラベルの付けなおし、セグメンテーション色の塗り直し、新ルールでのデータ取捨選択作業を行うことになります。データセットを組む手前のこれらの事前作業(アノテーション)こそ、社会実装できるAIアプリケーション開発の最大の壁なのです。
ちなみにこれまでの海外のAI研究は主に過去に蓄積された公開データベースを使って行われており、一人の天才が数式をいじるだけでいろいろな成果を上げているようなイメージです。しかし今後、リアルワールドで使えるAIは公開データベースを用いた開発では全く歯が立たず、軌道修正の度に育っていくものになります。私たち、現場の臨床家(私は年間1000件超の眼科手術を行うバリバリの外科医でもあります)が苦渋を舐めさせ続けられている電子カルテと同じ失敗をAI開発でも繰り返す愚を避けなければなりません。AI開発において「も」フィードバックによる軌道修正が成功の鍵なのです。
田淵仁志 ツカザキ病院眼科主任部長兼広島大学寄附講座教授
大阪市立大医学部卒後、研修しながら大学院で大脳視覚生理領域に取り組み、眼科学助手就任。その後、波乱の人生に足を踏み入れる。姫路市の民間病院の眼科に着任し、自作の医療用DWHを基盤とした医療の集約化を図り、15年かけて日本最大級の眼科ユニットに育て上げる。その傍ら名古屋商科大経営学大学院で修士(経営学)とEMBAを取得。並行して進めていたDWH機械学習研究がDeep Learningにより一挙に実用水準に到達したことを契機にAIチームを創設。2019年4月、広島大学に寄附講座「医療のためのテクノロジーとデザインシンキング」を開設。ツカザキ病院眼科主任部長兼広島大学寄附講座教授として、眼科臨床、AI社会実装、医学生研修医教育の三足のわらじを履いている。