糖尿病性網膜症を判定する医療機器の販売が米国食品医薬品局(FDA)に承認されるなど、今、人工知能(AI)を用いた画像診断支援システムの開発がめまぐるしく進んでいます。果たしてAIは医療現場をどのように変えるのでしょうか。 シリーズ「AIは医師を超えるか」は、『人工知能の哲学』や『人工知能はなぜ椅子に座れないのか』などを著した松田雄馬氏が、AIの仕組みから応用までやさしく解説する全5回の連載です。
「人工知能(AI)」が画像などの情報を学習する方法として、人間の脳の神経回路を模した「ニューラルネットワーク」による「ディープラーニング(深層学習)」が広く用いられている。AIが囲碁や将棋で人間を打ち負かしたり、画像を見せるだけで「猫」の概念を理解できるようになったりしたのは、このニューラルネットワークの研究が進んだことによる。
ニューラルネットワークは、人間の脳の神経回路の一部を模しているため、脳と同じ仕組みで動いていると誤解されていることが少なくない。しかし前回、簡単に触れた通り、人間の脳と同等の知能を有する「強いAI」はいまだ研究の目途すら立っておらず、ニューラルネットワークもまた、人間の知的活動をサポートする「弱いAI」の一つなのである。
それでは、ニューラルネットワークは、脳の何を模し、どのようにして画像などの情報を学習しているのだろうか。ニューラルネットワークを簡単に説明すると、脳の神経細胞(ニューロン)の発火状態と非発火状態を、まるで電球の点滅状態と同じように解釈し、同時に発火しているニューロンの間のシナプス結合を強化していくことで、「記憶」をシナプス結合として学習していく方法である。
この手法について具体的に見ていくために、ニューラルネットワークの最も単純な形の一つである、1958年に米国の心理学者フランク・ローゼンブラットが発明した「パーセプトロン」によって、リンゴの画像とミカンの画像をニューラルネットワークが学習していく流れを取り上げたい。
パーセプトロンの動作をごくごく単純な例で表すと、上の図のようになる。まず、リンゴ画像を「入力層」に入力する。このとき、画像内の画素一つ一つの情報を入力層のニューロンに写す、という方法がよく行われる。カラー画像の場合、一旦白黒にして白い画素を「発火ニューロン」、黒い画素を「非発火ニューロン」として扱うこともある。そして様々なリンゴ画像に対して、図(a)のように、あるニューロンが必ず「発火」していたとする。すると、入力層のそのニューロンと、出力層のある一つのニューロンを繋いで「リンゴ細胞」とすれば、リンゴ画像が入力されれば、必ずその「リンゴ細胞」が出力されることになる。同様の作業を図(b)についても行うことで、今度は「ミカン細胞」を作ることができる。実際には、リンゴとミカンの差異が最も明確になるように、(線形識別関数を用いて)入出力層の間の結合を調整していくのだが、単純化するとこのような作業だということができる。
このように説明すると手続き的な作業のように感じ、「脳の何を模したのか」と疑問に思う読者もいらっしゃるかもしれない。ニューラルネットワークとは、脳の記憶や学習の仕組みをすべて再現したわけではなく、神経細胞とそれらを結ぶシナプスの増強に着想を得て、情報を結合の中に埋め込むようにしたデータ分類の仕組みなのである。こうしたデータ分類は、たった一枚の画像からだけだとノイズも含まれるし、個々の画像の特徴に大きく引きずられてしまう。したがって、数多くのデータを収集することでデータ分類の精度を統計的に高める必要があり、これは「統計的学習理論(統計的機械学習)」と呼ばれる。
内視鏡画像から食道癌や胃癌、大腸癌を判定したり、レントゲン画像から肺癌を判定したりする画像診断支援システムはすべて、このような仕組みを用いて開発されたものである。例えば株式会社AIメディカルサービス(東京都豊島区、多田智裕CEO)とがん研有明病院が開発した胃癌判別システムは、わずか47秒で2296枚のテスト画像を分析し、98.6%の精度で6mm以上の胃癌症例を正しく検出したという。このシステムは、1万3584枚の胃癌画像を用いて学習された。
これらのシステムの中には専門医の正診率を上回るものもあり、こうして開発されたシステムを用いることで、現状の読影にかかる労力は大幅に削減できるものと考えられる。一方で、「AIが誤診し、患者の状態が悪化した場合、誰が責任を取るのか」といった懸念の声も根深い。なぜAIは誤診することがあるのだろうか。 次回は、AIが誤認識を起こしてしまう理由と、精度を高めるにあたってどのように改善すればよいのかについて検討していきたい。
(1)人工知能」が医療現場にもたらすもの(2018年9月13日公開)
(2)人工知能はいかにして癌を認識するのか (2018年9月14日公開)
(3)画像診断による誤りは、どのようにして生じるのか(2018年9月15日公開)
(4)人間の認識能力が画像診断システムの限界を突破する(2018年9月18日公開)
(5)人工知能は人間の仕事を奪うのか(2018年9月19日公開)
松田雄馬
1982年生まれ。博士(工学)。京都大学工学部地球工学科卒。2007年日本電気株式会社(NEC)中央研究所に入所。MITメディアラボやハチソン香港との共同研究に従事した後、東北大学とブレインウェア(脳型コンピュータ)に関する共同研究プロジェクトを立ち上げ、基礎研究を行うとともに社会実装にも着手。2016年、NECを退職し、独立。現在、「知能」や「生命」に関する研究を行うとともに、2017年4月、同分野における研究開発を行う合同会社アイキュベーターを設立。代表社員。