がんゲノム医療を中心に、情報技術によって医療情報の可視化により医療者や患者を支援している、情報技術研究者で株式会社テンクー代表取締役社長CEOの西村邦裕氏による連載コラムです。
未来の医療のデザインとして、情報技術が臨床の医師の先生に役に立つ事例として、がん遺伝子パネル検査自体を第1回、その中での情報技術の活用を第2回で紹介した。今回は、情報技術の活用の上で重要になるUX(ユーザエクスペリエンス)について、紹介を行う。医療における最終的な受益者を考えてみると、患者さんとそのご家族、その周りの人だろう。その際の、全体としてのUXを考えていくことも今後、益々必要になるのではないだろうか。医療の場合、単純化すると医療者側の視点と患者側の視点が2つある。そこで、患者側から見た医療のUX、医療側から見た医療のUXをそれぞれ考えてみよう。
UXは、デザインやサービス開発の際に利用される言葉で、ユーザ、つまり利用者が製品やサービスを通じて得られる体験全てを指す言葉だ。よくUI(ユーザインタフェース)と一緒に使われ、UI/UXと呼ばれることも多い。例えば、Webで商品を買う際、私たちは買いたい商品の検索、そして商品の選択、カートへの投入、配達先の設定、決済など一連の流れを行う。このWebにおける操作などのWebページの使いやすさはUIで考えられる部分である。さらにUXの部分では、商品を買いたいと思い、Webページでその商品にたどり着いて買うまで、および商品の購入ボタンを押して決済後、商品が手元に届くまでの全体の流れ、商品を買うという経験全体を考え、デザインする。細かいところでは、商品のパッケージや、段ボールの開けやすさなども対象として入ってくる。そのため、「カスタマージャーニー(顧客の旅)」として絵にして検討することもある。
まずUIとして一番分かりやすいのが、ソフトウェアのGUI(グラフィカルユーザインタフェース)である。特に医療者が日々、対面するシステムである電子カルテのUIについては様々な意見がある。例えば、医療者は1日14.4時間の労働の間に平均5.9時間、電子カルテを使っており、1シフトで4000回クリックしていることが米国で指摘[1]されている。日本でも以前からGUIについて指摘[2]されており、電子カルテのGUIのガイドラインの研究[3]もなされている。検索してみると、電子カルテのGUIを良くしていくアイデアを公開している記事も見かける。医療者の作業時間を減らすこと、誤操作を減らすこと、認知負荷を減らすことなど含めて、UIを改善していくことは今後もさらに必要だろう。その点において、情報技術の活躍の場は多々あると感じる。
今回はUIを越えて、さらに全体の体験としてのUXについて見てみよう。
患者側からみた医療のUXを考えると、例えば、通院から診察、会計、その後の処方、在宅での内服などを含む全体の流れが対象となる。これまでにも、情報技術でサポートされているものとして、予約、外来の待合ご案内、会計待ちシステムや自動精算機、処方せんの電子的送信や飲み忘れ防止リマインドなど、各部分において多くのアプリやサービスが試みられている。「ペイシェントジャーニー」という言葉で、患者さんの医療面、心理面、経済面、社会面などの体験を模擬・可視化し、議論がなされたりもしている。この患者さんの体験が良い形になっていくと、満足度や継続的な関係の構築、コミュニケーションの円滑化に繋がっていく。米・Mayo Clinicの事例の報告 [4] や、ペイシェントジャーニーのフレームワークの方法論としてSEIPS 3.0(The Systems Engineering Initiative for Patient Safety 3.0)[5]などが報告されており、UXを良くする取り組みがなされている。
また、今年に入ってからの新型コロナウィルス感染症の広まりから、広義のオンライン診療の試みも増えてきており、診察や情報機器を介した医療の形の変化が大きくなっていると感じる。その際に、「患者さんの立場から見る」という視点を持ち込むことがUXのデザインには必須だろう。
個人的に患者会などで患者さんとお話をしていると、「先生の前では、頭が真っ白になってしまって聞きたいことが聞けなかった」「緊張してしまって、全部聞き取れなかった」など医師の先生から説明を受けていても、心の余裕が無かったりすることも多いようである。このあたりは情報技術でサポートできることも多そうだ。
例えば、少し未来の体験を考えてみる。診察や検査の説明について、事前に検査の概要を自分の情報機器(スマホなど)で読んだり聞いたりすることができる。その後、実際に検査を受け、医師からの説明を受ける。説明を受けた検査データは情報機器に入り、必要な項目をタップすることでさらに詳しい説明が出たり、全体のイメージについても説明を読んだり、見たりすることができる。その際に、なるべく分かりやすく情報が提供されることが必須である。
さらに同意書なども、患者さんレビューによって分かりやすくなる工夫がなされてきている。今後は、紙で行われていたことが、補足的に、よりリッチなメディアで分かりやすく行われるようになるだろう。患者にとってみると、概要や意味についても自分のペースで知ることができ、かつ、検査データも手元にあるので、後からゆっくり見直すことができるというメリットもある。さらに、簡単な質問や不安についても、情報システムに相談することができるようになるかもしれない。医療者から見ると、患者説明の時間も適正化でき、サービスの向上に繋がる。そのような事がどんどん進んで行くのではないか。もちろん、医師法や規制のもと、適切に進めていくことが重要である。
上記では、「患者さんの立場から見る」という視点について考えたが、逆に「医療者の立場から見る」という視点についてもUXに持ち込むのが必須だろう。医療は、医学という専門知識の多い分野に基づいて実施されるため、医療者と患者さんとの間で、基礎知識、情報量の差が最初からとても大きい。この差が大きいからこそ、「すべて医師にお任せ」ということもこれまで多かったのだろうと思う。一方、個人が個人の判断で自由意思を選択することもできるようにはなってきている。その際に、両者の共通用語がないと、適切なコミュニケーションや適切な判断ができないのでは、と思う。
私の家族が入院した際、私の家族に医師がいたため、担当の医師から診察や検査の結果を適切に説明してもらえたと感じた。その結果、よりお互いの理解も深まり、治療の判断などへの同意もしやすかった。おそらく医学の言葉が利用できたため、医師から患者さんの家族への説明がスムーズだったのでは、と思う。逆に、感情的になってしまう患者さんの場合、説明が難しいということも聞く。現場では様々な工夫と努力がなされているのだと感じる。
医師と患者さんとの間で共通用語を持つのは大事であろう。患者さんの身体の状態や状況、その方の興味やこれまでの経験などによるため、一概には言えないものの、患者さん自身の、大きくいえば個人ひとりひとりの医療リテラシーや医学への興味、知識、情報などを増やしていくことも必要だろう。医療側がより分かりやすく説明し、逆に患者側がより理解しようとし、さらに情報システムで分かりやすい仕組みや情報の提供をし、必要があればそれを勉強し、お互いのUXが良くなるようにしていくのが今後はさらに必要ではないだろうか。言わば、以前の「家庭の医学」の本を個別化、パーソナライズしたような情報提供の仕組みなどがますます必要となってくるだろう。
医療者の専門性をより高く発揮できるような環境を作りつつ、その恩恵を最大限、受けられるような仕組みが、医療者側、患者さん側、ともに情報技術の支援でできると良いと感じる。医療者、患者さん、どちらか一方ではなく、ともに歩み寄る仕組みを情報技術によって作っていくことで、より良い未来の医療がデザインできるだろう。
[1] https://khn.org/news/death-by-a-thousand-clicks/
[2] 山野辺裕二, 相澤志優, 本多 正幸, “電子カルテシステムGUIの問題点”,ITヘルスケア 第2巻1号,pp.28-31, 2007
[3] 平成18-20年度厚生労働科学研究,「医療安全の推進を目的とした電子カルテシステムのユーザビリティ評価とユーザーインターフェースガイドライン構築」研究班, “電子カルテシステムのグラフィカルユーザーインターフェースの基礎的ガイドライン”
[4] Philpot, Lindsey M et al. “Creation of a Patient-Centered Journey Map to Improve the Patient Experience: A Mixed Methods Approach.” Mayo Clinic proceedings. Innovations, quality & outcomes vol. 3,4 466-475. 24 Sep. 2019, doi:10.1016/j.mayocpiqo.2019.07.004
[5] Carayon, Pascale et al. “SEIPS 3.0: Human-centered design of the patient journey for patient safety.” Applied ergonomics vol. 84 (2020): 103033. doi:10.1016/j.apergo.2019.103033
西村邦裕 株式会社テンクー 代表取締役社長 CEO
2001年東京大学工学部卒業。 2006年 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。同大学の研究員・助教を経て、2011年に株式会社テンクーを創業し、代表取締役社長に就任。大学の頃から、VR技術など情報技術を用いて、医療・ヒトゲノム情報の解析や可視化の研究に従事。大学の研究を社会に還元するために起業し、ゲノム医療のためのトータルソリューションソフトウェア「Chrovis」の開発を始め、ゲノム医療を情報面から推進する活動を展開。東京大学がん遺伝子パネル検査「Todai OncoPanel」の先進医療Bの情報解析などを担当し、臨床の現場で貢献できるよう取り組んでいる。受賞はMicrosoft Innovation Award、グッドデザイン賞、IPA未踏IT人材発掘・育成事業、文部科学省科学技術・学術政策研究所の「科学技術への顕著な貢献2018(ナイスステップな研究者)」、大学発ベンチャー表彰2019 文部科学大臣賞など。