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「一人病理医」が臨床現場に与える悪影響―榎木英介が見据える病理現場の未来(2)

2020年9月18日(金)

病理画像解析はAIが得意とする分野だ。Googleをはじめ、多くの企業が病理診断AIの開発を目下進めている。今後、病理学の世界はどのように変わっていくのだろうか。病理専門医、細胞診専門医である榎木英介氏が病理現場の未来を語る。

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医療界における病理診断は、少なくともメインストリームではない。厚生労働省の「平成30年(2018年)医師・歯科医師・薬剤師統計の概況」によれば、主な診療科を病理診断科としている医師は31万1963人中1993人。1%にも満たない。

確かに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対策で必要性が叫ばれる感染症内科を主な診療科としている医師は520人で病理医よりも少なく、1993人という数を評価するのは難しい。しかし、我々の仕事は各科の診療に深く関わっており、外科を中心にあらゆる科から提出された検体を診断している。その点を考えると、不足している部類に入ると言って過言ではないだろう。『日本病理学会 国民のためのよりよい病理診断に向けた行動指針2019』に掲載された2016年時点のデータによると、400床以上のベッド数がある一般病院は710施設あるが、202病院、率にして28.5%の病院に常勤病理医はいない。さらに加えるならば、常勤病理医がいる病院でさえ、その40%がたった一人で勤務する「一人病理医」だ。

地域による偏在も著しい。都市部に病理医が集中する傾向は強く、県全体で10名程度しか病理医がいないところもある。同一地域内でも、県庁所在地に局在する傾向がある。こうした病理医の不在、局在、あるいは「一人病理医」が医療にどのような影響を与えているのだろうか。ここで簡単に我々病理医の業務を簡単に述べておきたい。

病理医が携わる5つの業務

我々の業務は主に5つに分けられる。生検の診断、手術材料の診断、術中迅速診断、細胞診、病理解剖だ。順を追って説明しよう。

生検は人体の組織の一部を少量採取し、標本を作成することにより、病変がどのような種類の病気なのかを調べる作業だ。消化器内視鏡により採取された標本が多いものの、呼吸器領域や婦人科、泌尿器科など様々な科から標本が提出される。なお、標本を作成するのは臨床検査技師であり、病理医のパートナーとして不可欠な存在だ。

微小な組織はあくまでより大きな組織の一部でしかなく、採取時の条件により、変性が加わり観察が難しくなることもある。限界はあるものの、患者への侵襲が比較的少ないこともあり多用されている。近年では、切除不能悪性腫瘍のゲノム医療における重要な情報源として、生検の重要性が高まっている。

手術材料の診断は、外科手術において必須と言えるものだ。腫瘍の種類、広がり、リンパ節転移の有無、他の臓器への転移などを病理診断において調べる。これが確定診断となり、追加治療のメニューが決定される。

術中迅速診断では、手術中に採取された組織を凍結させ、10分程度と極めて短時間で標本を作成し診断する。基本的には生検と同じだが、凍結標本を用いることで短時間に診断できるため、手術で採取した標本の断端に腫瘍があるかないか、あるいは事前に良性か悪性か判断ができなかった組織の診断などに用いられる。10分程度でできるのなら、すべての標本を凍結標本で行えば良いではないかと思われるかもしれないが、凍結による組織の挫滅の影響があり、診断の確度は高くない。

細胞診では、痰や尿、胸水、腹水の中の細胞や、子宮頸部などから採取された細胞が腫瘍か否かなどを診断する。実際の業務としては、臨床検査技師の中で細胞検査士の資格を持った者がすべての標本をみて、病理医(あるいは細胞診専門医)がダブルチェックをするという体制で行う。

病理解剖は、事件性のない病気で亡くなった方の解剖を行うことで、死因を特定したり、病変の広がりを調べたりするために行う。研修医の教育において、解剖を経験することが必須となっているなど、医師の教育やレベルアップのために行われている側面もある。

病理診断の多くは、治療方針決定のための根拠、確定診断として使われる。言い換えれば、病理医がミスをすれば、患者の健康や生命に大きな影響を与えうる。こうした重い責任を担うのが病理診断なのだ。

一人病理医は「バイアスに支配される」

こうした日常業務において病理医が不足しているという現状は、臨床現場にどのような影響を与えているだろうか。まず述べなければならないのは、「一人病理医」の現場では相互チェック(ダブルチェック)を行うことができないということだ。

相互チェックは単純ミスを防ぐために重要だ。誤字脱字、標本の見落としなど、単純ミスは常時発生している。こうしたミスは、病理医が二人おり、互いにチェックし合うだけで軽減されるのだが、それができない。

人は一人でいる時、どうしてもバイアスに支配される。病理診断においても、ある一つの疾患が早期に思い浮かんでしまったために、標本内にみられる様々な組織像をその疾患の根拠として半ば強引に結びつけることもあるのだ。

日常診断業務の多くを消化管生検が占めるが、この多くは診断に迷うことは少なく、組織を顕微鏡でみた瞬間に診断名が思い浮かぶ。概ね95%、20件に19件はこうした標本が占める。しかし、残りの1件が診断に迷う症例であり、可能なら、作業時間はこうした20分の1に集中したいと思っている。思い込みを防ぐためにも、難しい症例を議論するためにも、複数の病理医がいるべきだが、こうしたことがままならないのが「一人病理医」なのだ。

このほか、術中迅速診断や解剖の業務により、学会出席や休暇もままならないケースもある。また、上述のようにミスが許されないという環境の中、重圧がのしかかる。

病理診断が日常的に行えない病院では、大学病院などから非常勤という形で診断を行うか、衛生検査所と呼ばれる施設に病理診断を依頼する。こうした場合、診断まで時間がかかるケースがある。また、術中迅速診断が常時行えないため、非常勤病理医が来院する日に手術日を合わせるなど、手術などの日程調整にも病理医の不足が影響を与える。

このように、現状では病理医への過度な負担や、手術の制限など、病理医不足が医療に与える負の影響は少なくないと言える。こうした状況のなか、AIが実装されるとどうなるか……。次号以降で明らかにしていこう。

榎木英介

榎木英介 病理専門医、細胞診専門医、一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事

1971年横浜市生まれ。東京大学理学部卒。同大学院中退後神戸大学医学部に学士編入学。2004年医師免許取得。以後病理医として働く傍ら、科学技術が社会にどのような影響を与えるのかを考える活動を続けている。2018年に一般社団法人科学・政策と社会研究室を設立し代表理事に就任。2020年からはフリーランス病理医になり、独立した立場で科学技術や医療のあり方を見つめている。AIに関しては、医療現場にどのような影響を与えるかという社会的観点で情報を注視している。著書「博士漂流時代(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。Yahoo!ニュース個人などにも記事執筆している。