イーロン・マスクは8月28日、脳コンピューター・インターフェイス構築企業であるニューラリンクの「製品アップデート」のオンラインイベントを開催した。神経科学者にとって最も興味深いのは、頭蓋骨にあけた穴から脳の表面に配置し、脳の電気信号を無線送信する1ドル硬貨サイズの機器「リンク」かもしれない。
イーロン・マスクが4年前に立ち上げた神経科学企業であるニューラリンク(Neuralink)は、電子的な脳コンピューター・インターフェイスを応用すれば将来、数多くのことが実現可能になると考えている。例えば、恐怖を感じることなくロッククライミングしたり、頭の中で交響曲を演奏したり、超人的な視力で電波を見たり、意識の本質を理解したり、失明、麻痺、聴覚障害、精神疾患を治癒したりできる。
そのような高度な応用はどれも実現には程遠く、一部は実現することはなさそうだ。しかし、8月28日にユーチューブで配信された「製品アップデート」では、スペースX(SpaceX)とテスラ・モーターズ(Tesla Motors)の創業者でもあるマスクCEOが、手頃な価格の信頼できる脳インプラントの開発を目指すニューラリンクの研究について、黒いマスクを着用したスタッフと共に議論した。そのような脳インプラントは将来、何十億人もの消費者から強く求められるようになるとマスクは考えている。
「多くの点で、頭蓋骨の中に埋め込んだ極細のワイヤーつき『フィットビット(Fitbit)』のようなものと言えます」とマスクは語った。
このオンラインイベントは製品デモと称されていたが、ニューラリンクは購入や利用が可能な製品はまだひとつも提供していない(同社の医学的主張は実現可能性が疑わしいものが多いので、最善の戦略だ)。ただし、超高密度の電極を開発して動物実験をしている。
脳インプラントにより人間の能力を拡張または回復できると考えたのは、ニューラリンクが初めてではない。1990年代後半には研究者らが麻痺患者の脳に電極を埋め込み、患者が脳信号でロボットアームやコンピューターのカーソルを動かせることを示し始めた。また、視覚化インプラントを埋め込んだマウスは実際に赤外線を感知することができる。
ニューラリンクは、こうした研究に基づいて脳コンピューター・インターフェイス(BCI)の開発を進め、診療所で1時間以内に装着できるようにしたいと語る。脳信号でコンピューターを操作した人がいることを踏まえて、「実際に機能します」とマスクは語った。「ただ、普通の人が使いこなせるものではありません」。
オンラインイベントの最中、ニューラリンクが開発しているシステムの人間を対象とした試験の実施時期などが質問されると、マスクはタイムラインを提示したり、スケジュールを約束したりすることは巧みに避け続けた。
ニューラリンクは立ち上げから4年経ったが、マスクがスライドで言及したうつ病、不眠症、その他数十の疾患を治療できる証拠を(またはこれまで治療を試みたという証拠さえ)未だに一切提供していない。同社の進む先に待ち構える難題のひとつは、生体脳内の「腐食性」に10年耐えることができるマイクロワイヤーを完成させることだ。この問題を解決するだけでも何年もかかる可能性がある。
ライブ配信された今回のデモの第1の目的は、話題を呼び、エンジニアを募集し(すでに約100人を雇用している)、ニューラリンクのファン層を構築することだった。こうしたファンたちが、マスクの他のベンチャー企業を応援し、電気自動車メーカーのテスラの株価躍進を長期間助けてきたのだ。
マスクはイベントに先立って投稿したツイートで、生体脳内で発火するニューロンの驚異的なデモをするとファンたちに約束したが、どの種の生物を使うかについては言及しなかった。ライブ配信が始まって数分後、アシスタントが黒いカーテンを開けると、フェンスで囲まれたケージ内にいる3匹の小さなブタが現れた。このブタたちが同社のインプラント実験の対象だった。
1頭のブタの脳にはインプラントが埋め込まれていて、隠しスピーカーから短い着信音が聞こえてくる。このブタのニューロンの発火をリアルタイムで記録している音だとマスクは説明した。マスクがツイートでほのめかした「マトリックス内のマトリックス」を待ち望んでた人にとって、このかわいらしいブタのデモは期待はずれだった。神経科学者にとっては目新しいことは何もなかった。神経科学者は何十年も前から、研究室で動物の脳(および一部の人の脳)で発生した電気インパルスの記録音を耳にしていた。
ニューラリンクは1年前に、1000本の超微細電極をげっ歯類の脳に刺し込むことができるミシンに似た外科手術ロボットを発表した。刺し込まれた電極はニューロンが放出する電気信号を測定する。運動や思考、記憶の想起の根本要素は、これらの電気信号の速度とパターンだ。
今回の新たなライブ配信では、登場したマスクの横には、滑らかな白いプラスチック製の外観をもったインプラント埋め込みロボットの最新プロトタイプがあった。何十億人もの消費者が将来、頭蓋骨に自動的に丸い穴を切り開けてもらうために、このロボットに喜んで頭を置き、電子機器を脳内に入れてもらうようになるとマスクは信じている。
ロボットの未来的な外観は、バンクーバーの工業デザイン会社であるウォーク・スタジオ(Woke Studio)によるデザインだ。リードデザイナーのアフシン・メーヒンは、リスクが避けられないこの脳外科手術を自発的に受けられるように、「すっきりとした現代風でありながら親しみやすさ」のあるデザインを目指したと語っている。
神経科学者にとって、8月28日に示された最も興味深い新成果は、マスクが「リンク(LINK)」と呼んだものかもしれない。コンピューターチップを搭載した1ドル硬貨サイズの小さな円盤で、電極が記録した電気信号を圧縮してワイヤレス送信する。リンクの厚さは人間の頭蓋骨の厚さと同じくらいで、頭蓋骨に開けた穴から脳の表面にリンクを正確に配置し、その後、頭蓋骨の穴は強力接着剤を使って閉じることができるとマスクは説明した。
「私が今、ニューラリンクを装着していたとしても、皆さんは気づかないでしょう」とマスクは語った。
リンクは誘導コイルを利用してワイヤレス充電できる。将来、人々は寝る前に充電器につないで埋め込んだインプラントを充電するようになるだろうとマスクは語った。また、テクノロジーの向上に応じて新しいインプラントを入手できるように、インプラントの取り付けと取り外しも簡単にできるようにする必要があるとマスクは考えている。初期バージョンの脳インプラントをずっと使い続けたい人はいないだろう。人体内に残された古い神経回路ハードウェアは、研究対象者がすでに直面している現実の問題となっている。
ニューラリンクがブタで試験中のインプラントには1000のチャンネルがあり、同じ数のニューロンからの信号を読み取れるようだ。脳信号をより正確に読み取るためにチャンネルの数を「100倍、1000倍、1万倍」に増やすことが目標だとマスクは述べている。
もっとも、マスクが目指すような指数関数的な目標を達成しても、このテクノロジーが特定の医療ニーズに対応できるようになるとは限らない。マスクはインプラントが「麻痺、失明、聴覚問題を解決できる」と主張しているが、必要なのは10倍の電極ではなく、うつ病など、そもそも電気化学的な不均衡が生み出すものに関する科学的知識であることが多い。
マスクが提示した医療応用の長いリストにもかかわらず、ニューラリンクはそのいずれかに取り組む体制が整っていることは示さなかった。今回のイベントでは、同社による臨床試験開始計画は明らかにされなかった。次の当然のステップだと考えていた人々には予想外の展開だった。
ニューラリンクと協力している脳神経外科医のマシュー・マクドゥーガルは、麻痺患者にインプラントを埋め込み、コンピュータ画面上での文字入力や、単語形成ができるようにすることを検討していると語った。マスクはさらに踏み込んで「長期的には人の全身の動きを回復させることができると思います」と語った。
同社が病気の治療にどれほど真剣に取り組んでいるかは不明だ。マスクの話は頻繁に医療から逸れて、はるかに未来的な「一般向けデバイス」に話が帰着した。「一般向けデバイス」が同社の「総体的な」目標だとマスクは述べた。人間が人工知能(AI)と歩調を合わせるためには、コンピュータと直接接続するべきだとマスクは考えている。
「人類という観点では、高度なAIとの共存方法を解明し、AIとある程度の共生を達成することが重要です」とマスクは述べた。「未来の世界が世界中の人々の総意によって管理されるようにするためです。それが、このようなデバイスが実現する最も重要なことかもしれません」。
脳インプラントがそのようなコンピューターでつながった世界的な集団思考をもたらす方法について、マスクは語らなかった。おそらくは、次回のアップデートで語られるのかもしれない。
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MIT Technology Review