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世界が渇望するワクチン、最初に手にするのは誰か?

2020年9月3日(木)

完成が待たれる新型コロナウイルスのワクチンを巡って、各国政府は自国民のための囲い込みを強化している。貧富に関わらず、誰もが平等にワクチン接種を受けられるようにするにはどうすべきか。


中国のシノバック・バイオテック(Sinovac Biotech)は2004年、重症急性呼吸器症候群(SARS)に対する実験的なワクチンを開発した。SARSはわずか800人の死者を出しただけで終息したので、SARSワクチン開発プロジェクトは棚上げにされた。しかし、この過去のおかげで、2020年1月に新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が中国で爆発的に流行した時、シノバックは次に何をすべきかのロードマップを持っていた。流行の発生から4か月後、シノバックは不活化したウイルスから作られたシンプルなワクチンを使って、サルを新型コロナウイルスから守ることができるという証拠を発表した。

しかし、その発表がなされた頃の中国は別の問題、すなわち新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者が足りないという問題を抱えていた。厳格なロックダウンの実施で、中国国内で新型コロナウイルスをあまりも効果的に抑え込むことができたため、ワクチンを十分にテストできるだけの患者数を医師が確保できなくなってしまったのだ。米国では多くの症例があったが、両国間の緊張の高まりにより、中国製の新型コロナウイルス用ワクチンを米国でテストすることは到底望めなかった。

そこで6月、シノバックは、ブラジルのサンパウロにあるワクチン開発センター、ブタンタン研究所(Butantan Institute)と契約し、約9000人の医療従事者を対象に大規模な臨床試験を実施することにした。新型コロナウイルスの打撃を受けたブラジルにとって、この試験には明確な見返りがある。ブタンタン研究所は臨床試験の費用を負担し、志願者を募集する。その引き換えとしてシノバックは、ブラジルに6000万回分のワクチンを供給し、さらに必要となった場合はブラジルに製造させることも約束している。

ブラジルがこうした臨床試験を実施できるのは、1980年代以来、ブタンタンおよびリオデジャネイロ近郊の第2センターで、ワクチンの研究、製造、保存ができる能力を入念に保持してきたためである。「ブラジル政府が実施しているこの免疫獲得プログラムは、自給自足を目標としているのです」と語るのは、この臨床試験を運営しているブタンタン在住の感染症専門医、リカルド・パラシオス博士だ。

近いうちに、世界各国の人々が新型コロナウイルスのワクチンを切望するようになるだろう。米国は、「ワープ・スピード作戦」と呼ばれる政府主導のプロジェクトを通じて、すでに50億ドル以上を費やして製薬メーカーに国内でワクチンを製造させている。中国は、独自のワクチン候補をいくつか揃えており、製造への投資を加速させている。しかし、他の国、特にヨーロッパでは、長年にわたって国営の製造拠点を売却または閉鎖してきたため、国内における専門性は蓄積されず、次第に関心も薄れ、ワクチンの製造や保存を近隣諸国に頼るようになってきている。

新型コロナウイルスのワクチンの十分な供給を確保することは、現在の石油や核兵器のように、地政学的な力の象徴となる可能性がある。各国政府は、経済を再開し、政治的安定を確保する切り札としてワクチンに頼るようになるだろう。国々の同盟関係はすでに変化しており、ワクチンの製造、試験、原料の量産、そして充填および最終的な製剤化ができる国に有利な方向へと変化しつつある。他の国々は、致命的なパンデミック(世界的流行)に対して無策な状態になることを恐れつつ、この状況を固唾を呑んで見守っている。

米国第一主義

新型コロナウイルスワクチンの開発競争はかつてないスピードで進んでいる。7月の時点で、シノバックのものを含むいくつかのワクチン候補が、サルを新型コロナウイルスから保護することが実証され、ヒトを対象とした初期の試験において安全性も証明されている。臨床試験の次の段階では、免疫力の付与に効果があるかどうかを検証することになっている。専門家によると、1つのワクチンだけでなく複数のワクチンが必要とされており、最初のうちは供給量が大幅に制限されるとのことだ。そのため、ワクチン確保をめぐって、すでに各国間で前例のない競争が繰り広げられている。

水面下ではワクチン入手のための取引がすでに始まっており、あらゆる物がワクチンとの交換対象になっていると、ピエール・モーゴン最高経営責任者(CEO)は指摘する。モーゴンCEOはバイオテック分野のコンサルタントであり、新型コロナウイルスのワクチン製造を手がけるもう一社の中国企業カンシノ(CanSino)に協力している。さらにモーゴンCEOは、「ワクチン入手は、抜け目のない駆け引きが横行する暗黒の世界に入るようなものです」という。モーゴンCEOがフランスの製薬企業サノフィ(Sanofi)に勤務していた2009年には、H1N1型インフルエンザが大流行したが、当時の外務省当局者は、優先的にワクチン供給を受けるべき国を選別していたという。そのリストには、フランスがガス、石油、およびウランの供給を依存している国が載っていた。「誰もそのことを隠そうとはしなかったのです」とモーゴンCEOは話す。

ワクチン入手を競い合っているのは国だけではなく、企業や個人、そして冷蔵輸送トラックをハイジャックしそうな犯罪組織までもが加わっている。H1N1型インフルエンザのアウトブレイクの最中には、フランスはサノフィ工場の門に国家憲兵隊を配置した。「需要が高くて供給が追い付かないものは高値で取引されるのです。マスクが良い例でしょう。通常価格の何倍もの価格で転売されているのですから」とモーゴンCEOは話す。欧米の諜報機関が主張するには、ロシアはすでに、英国と米国のサーバーからワクチンに関する機密情報を引き出そうとして、コージーベア(Cozy Bear)として知られるハッカーチームをすでに展開しているという。

米国のトランプ政権は、2021年1月までに安全で効果的なワクチンを3億回分確保することを目標としているが、「事前購入」契約によってワクチンを確保しようとしている。まだワクチンを市販していないバイオテクノロジー企業ノババックス(Novavax)に対し、ワクチン製造のために16億ドルの支払いを発表した際、米国保健福祉省は、この契約によって得られると予想される「1億回分の治験用ワクチンを連邦政府が所有する」と具体的に明かした。

これが意味するのは、まずは米国人から、ということだ。

米国はまた、パリに拠点を置くサノフィと事前購入契約を締結したが、これも同様にリスクが高いものだ。なぜなら、効果が保証されているワクチンは存在しないからである。この契約は、フランスとの外交的な軋轢を引き起こした。サノフィのポール・ハドソン最高経営責任者(CEO)は、「米国はリスクを取ることに対して投資しているので、最大数の事前発注をする権利を持っている」と述べた。フランス当局者はこの説明を「受け入れがたい」とし、ワクチンは「世界的な公共財」であるべきであり、「誰もが平等にワクチンを利用できるようにすることについては交渉の余地がない」と述べた。同様に、国際的な非政府医療団体である国境なき医師団は6月、「国家主義的な備蓄措置」に反対する激烈な声明を発表し、「世界的な連帯が最も重要であるべきだ」と述べた。

非営利団体であるGAVIアライアンスは、スイスのジュネーブに拠点を置き、貧しい国のためにワクチンを購入している。GAVIは20億ドルの資金を集め、新型コロナウイルス感染症の予防接種のために独自の事前購入契約を結び、誰もが同時にワクチン接種を受けられるようにする予定だ。「ワクチンが裕福な国に先取りされてしまい、他の国のためのワクチンがなくなってしまう危険を感じています」とGAVIのセス・バークリー最高経営責任者(CEO)は言う。

キャプチャ

「政府が国民を守ろうとするのは理解できますが、問題は、全員が安全でなければ安全とは言えないことなのです」とバークリーCEOは話す。「世界の他の地域で感染症が猛威を振るっていると、通常の生活に戻ることはできず、旅行も観光もできません。経済危機から逃れることはできないのです」。

バークリーCEOによれば、はじめに数カ国の全員にワクチンを接種するよりも、最初のワクチンを各国に配布し、各国の人口の一部に接種する方が良いという。バークリーCEOが予測するように、2021年に20億人分のワクチンが入手できるとすれば、すべての国で20%の人々にワクチンを接種することができるだろう。これらの人々の中には、医療従事者や疾病リスクの高い人々、さらには囚人、難民キャンプの人々、および食肉工場の労働者といった「スーパー・スプレッダー」になりうる人々が含まれる。

ただし、現実は少々異なる展開になるかもしれないと指摘するのは、バス、ベリー&シムズ法律事務所でワクチンの臨床試験を専門とするクリントン・エルメス弁護士だ。エルメス弁護士は、「一部の国が他国よりも先にワクチンを購入することは公平ではないかもしれませんが、現実にはそれが起こる可能性が高いのです」と述べる。「米国がアーカンソー州にワクチンを届ける前にアンゴラに送ることは、誰も期待していないでしょう。公平なワクチン利用に関する真の課題は、どうやってそれを実現するかということです。誰が何をどのような順番で手に入れるか、机上で決めるのは道徳家でもできます。しかし、実際に資金調達のしくみがない限り、それは机上の空論に過ぎません」。

賭けに出る

今のところ、どのワクチンにも効果があることを示す確かな証拠がないため、すべての賭けにリスクが伴う。パンデミックの初期に、米国政府と非営利団体の資金提供者たちはワクチン候補をすぐに作り出した先端テクノロジーを積極的に支援したが、結局いまだ承認済みワクチンは完成しておらず、大規模な生産にも至っていない。その中には、モデルナ・ファーマシューティカルズ(Moderna Pharmaceuticals)が開発しているRNAワクチンや、イノビオ・ファーマシューティカルズ(Inovio Pharmaceuticals)が開発しているDNA注射があり、どちらもウイルスに関する遺伝情報を直接ヒトの細胞に送り込もうとするものだ。それ以降、米国政府はジョンソン・エンド・ジョンソン(Johnson & Johnson)にも資金を提供しているが、ジョンソン・エンド・ジョンソンはより従来型のアプローチを採用している。

モーゴンCEOは米国の資金提供を、スタートゲートに 「ダチョウ、馬、犬」がいるレースに例え、「それぞれの種類の動物に賭けたいと思うようなものです」と話す。

ブラジルでは、「熱帯のトランプ」の異名を取る極右のボルソナロ大統領が、新型コロナウイルス感染症はただの風邪に過ぎないと嘲笑し、保健大臣を解任し、7月に自身が新型コロナウイルスに感染したときにはマラリア治療薬のクロロキンで治ったと主張している。ブラジルで実施されている中国製ワクチンの臨床試験は、連邦政府を通さずに、ブラジルで最も裕福なサンパウロ州のジョアン・ドリア知事が資金提供している。ドリア知事はボルソナロ大統領のライバルの一人でもあり、次期大統領の座を狙っている。

シノバックのワクチンは、化学的に不活化された、いわば死滅させたウイルスを使うという実証済みの確実なアプローチで作られており、パラシオス博士によれば、生産ラインを改修すればブラジル国内での生産体制ができあがるという。そのためバークリーCEOは、従来型のアプローチのワクチンが先に市場に出てくるか、そうでなくても他より普及するという「うさぎと亀」のような状況になると見ている。

ワクチンへの関心が高まっているにもかかわらず、優先順位が間違っているのではないかと心配する人もいる。かつてHIV研究者で、バイオテック企業の起業家でもあったウィリアム・ハゼルタイン博士は、抗ウイルス薬の開発にもっと力を注ぐべきだと考えている。実際にAIDSは、抗ウイルス薬によって最終的に抑え込むことができる。こうすれば、安全性が理解されていないワクチンを何十億人もの人々に接種しようとする前に、十分な研究をするための時間を稼ぐことができるだろう、とハゼルタイン博士は言う。

「新型コロナウイルス問題の解決策の発見を急ぐ政治的・経済的圧力があるため、ワクチン開発は通常の状況とは言えないのです」とハゼルタイン博士は話す。「安全性が十分に検証されておらず、厄介な副作用があるワクチンを発売したら、何年もの間、それこそ一大事になります。何億人もの命が犠牲になるわけですから」。

科学の力が試される

今年の夏から秋にかけて、企業や研究者は、開発中のワクチンが本当に新型コロナウイルスによる感染から、あるいは少なくともその最悪の影響から人々を守るのかどうかが分かるデータを得ることになるはずだ。

米国シアトルのフレッドハッチンソンがん研究センター(Fred Hutchinson Cancer Research Center)を拠点とする研究ネットワークでは、これまで連邦政府から資金提供を受けてHIVワクチンの試験を実施していたが、その代わりに、3万人を対象に5つの新型コロナウイルスワクチンの効果を確かめる大規模な臨床試験を実施することになった。中国企業は、国内では十分な症例が確保できないため、カナダ、ブラジル、およびその他の地域で研究を実施している。

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フレッドハッチンソンがん研究センターのウイルス学者で、7月にワープ・スピード作戦における米国での臨床試験の責任者に抜擢されたローレンス・コリー教授は、ワクチン探しが急速に進んでいるのは、科学者たちがこれまで「成功に向けて計画を立ててきた」ためだと述べる。たとえば、ワクチン接種が有効であると最終的に証明されるのを待たずに、各企業は米国政府の資金を受けてすでに生産体制を拡大中である。ハーバード大学のボリス・ユエルグ助教授は、研究対象を新型コロナウイルスに切り替えた学者の一人だが、「研究の立ち上がりは非常に速く進んでおり、私がこれまで関わってきたどの臨床試験よりもはるかに速いものです」と話す。

現在危険なのは、各国政府がワクチンを早まって世に出してしまうことである。たとえば米国では、米国食品医薬品局が新型コロナウイルス感染症の治療薬としてクロロキンを承認したが、その数週間後には薬が効かないことが明らかになり、結局その承認を撤回するに至った。その頃までには、インドがすでに原料の輸出を禁止していて、米国は無駄な備蓄に数百万ドルを費やすことになり、ブラジルの大統領は軍隊に命じて大量に製造させてしまっていた。「ワクチン製造はお祭り騒ぎのようなものではなく、もっと熾烈であくどい競争になると予想しています」と、ワクチンに詳しいエルメス弁護士は言う。

もう一つの心配事は、ワクチンの効果の有無に関する証拠が捻じ曲げられてしまうことだ。すでにかなり多くの人々が、ワクチンは陰謀の1つに違いないと疑っている。今年の夏に実施された米国の世論調査では、回答者の約4分の1が新型コロナウイルスのワクチンを拒否すると回答している。

ワクチンに関わる取り組みが政治に巻き込まれる危険性もある。7月、トランプ大統領は、米国が世界保健機関(WHO)を脱退すると述べた。WHOは、どのマウスを使ってワクチンを試験するかなど、共通の基準を設定する上で重要な役割を果たしている。ホワイトハウスはまた、ワクチンの試験に資金を提供している米国立アレルギー・感染症研究所のウイルス学者、アンソニー・ファウシ所長を攻撃している。

パンデミックが始まって以来、情報の迅速な共有がこのウイルスに対する重要な武器となってきた。1月に中国の科学者が病原体の遺伝子配列を発表したことが、ワクチン開発競争の幕開けとなった。その後、ヨーロッパの医師たちは、症例の記述や、重症患者への対処法に関して得たノウハウを学術誌に大量に寄稿している。ワクチンについては、中国、米国、または英国のいずれの国で開発されたものであれ、研究者が記録を比較できるようにデータを共有することが重要になるだろう。

たとえば、血液中の抗体や特定の免疫細胞の数や濃度を測定することで、ウイルスに対する免疫獲得の有無を見分ける方法が見つかるかもしれない。そうすれば、市場に出回る3番目または4番目のワクチンがバイオマーカーだけを根拠に承認される可能性もある。一般的なワクチンの臨床試験では、ワクチンを投与された人のうち、どの程度の割合で病気になったかを調べるのに1年は待つのだが、その必要もなくなるだろう。

フレッドハッチンソンがん研究センターのコリー教授にとっては、アストラゼネカ(AstraZeneca)やメルク(Merck)のような大規模な多国籍企業が関与することで、ワクチンの研究と供給の政治化を防ぐ防波堤となる可能性が高い。エボラ出血熱の危機の際に普及したワクチンは、WHOの調整下で、カナダで作られ、メルクに販売され、米国から資金提供を受け、ギニア共和国で試験がなされた。現在そのワクチンはドイツで製造されている。バークリーCEOは言う。「それを国家主義的なものにしようとしてみてください。どうやって境界線を引くのですか?」


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