新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行によって注文が殺到したマスクは、携帯電話の顔認証の不便さを解消するものだった。だが、マスクにはアーティストのある別の意図も組み込まれている。
ダニエル・バスキンは2週間前、皮肉なアート・プロジェクトのアイデアを思い付いた。そして彼女は中国で突然、人気者になった。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行について友人と話している間、サンフランシスコ在住のアーティストであるバスキンは、マスクを使って感染から身を守る人たちが、顔認識を使った携帯電話のロックの解除に苦労していることに気づいた(確かに問題だ)。バスキンがすぐに制作したマスクのプロトタイプには、「顔」が印刷されていた。それは「あなたの顔」ではなく、人工知能(AI)を使って生成された架空のユニークな顔だった。そして、ツイッターに彼女自身のアイデアを投稿した。「携帯電話のロックを解除しながら、ウイルスの流行から人々を守ります」。
需要はすぐにあった。マスクを好みの見た目に変えたいがん患者、子どもたちを怖がらせたくない小児科医、そして中国の人たちが、彼女のアイデアに興味を持ったのだ。バスキンの発明品は中国のメディアに取り上げられ、2000人以上がマスクの制作を待っている。その多くは、中国の電子メール・アカウントを持っている人たちだ。しかも、1人につき1枚や2枚ではない。ある見込み客は1万枚のマスクを注文し、販売代理店になりたいとの問い合わせも8件あった。マスクが世界的に不足していることから、バスキンはしばらくの間、注文をさばけないだろう。だが、このマスクを着用した状態で自分の顔を認識するようにフェイスID(FaceID:アップルの顔認証システム)を設定さえすれば、顔認識はきちんと機能するのだ。
「こういった社会的なオブジェやアート作品ほどクールだと思います」。生物測定学の研究者であるロバート・ファーバーグ博士はいう。「脅威と保護を同時に融合させたものであり、それが非常に人々を惹き付けるのだと感じます」。 ファーバーグ博士もまた、バスキンに連絡した1人だ。博士の妻は看護師で、マスクとフェイスIDの不便さについて不平をこぼしている。ファーバーグ博士にとってこの需要自体が、社会的な主張の一形態なのだ。「とても、2020年らしいですね」。
ほとんどの人はマスクをかけている間に、自分の携帯電話を使用できるかどうかだけを心配しているが、驚くべき「おまけ」に気づくかもしれない。バスキンはマスクに「反監視」の要素を組み込んでいるという。「マスクをかけていても顔認識が機能しているように見えますが、実際に認識されているのは利用者自身の顔ではありません」。テクノロジーをだまして生体認証情報を保護しているのだ。「マスクをかけた画像は友人には識別できても、機械学習にはできないことから、顔認識には誤りがあることを示しているのです」。
芸術品気取りの反監視デバイスやテクニックの人気は、近年より高まっている。たとえば、反顔認識のフェイス・ペイント、物体検出器をブロックできる「透明人間マント」、自動ナンバープレート読取装置(ALPR:Automated License Plate Readers)を混乱させる「アドバーサリアル・ファッション(Adversarial Fashion)」、香港やインドのデモ参加者がカメラから顔を隠すために使用している普通のマスクなどだ。 メディアは毎回息せき切ってこうしたプロジェクトの進歩を報じているが、ほとんどは普通の人にとって反監視への有用な方策というよりも、政治的主張になっている。実際、これらの反監視デバイスやテクニックが広く使われるようになった場合、役に立たなくなる可能性がある。回避策の採用は監視側と反監視側の激しいせめぎ合いにつながり、反監視デバイスやテクニックを打ち破るテクノロジーがそれを回避するようになるからだ。
(反監視を実現する)可能性のある解決策ではなく、単なるパフォーマンス・アートとして捉えた場合でも欠点がある。ノースカロライナ大学の監視研究者トーリン・モナハン博士によると、反監視デバイスやテクニックといったプロジェクトのリスクは、監視は避けられないものであり、問題を解決するのは個人の責任であると人々に思わせることにある。「パフォーマンス・アートのようなものが間に入ると、監視に対して個人は対応でき、そしておそらく個人として対応すべき普遍的な脅威と位置づけるようになります。しかし、疎外され日常的に警察や国家による監視の対象となっている人たちよりも、裕福な人や白人がはるかに有利な立場にあることを見落としています」とモナハン博士は話す。「こうした芸術品気取りの反監視デバイスやテクニックは、監視を商品化および美化することになり、不平等な脆弱性について話し合わなくなるかもしれないと心配しているのです」。
それでも、モナハン博士は反監視デバイスやテクニックが、ますます懸念されている監視の現実に注意を向けることができるという。ピュー研究所(Pew Research)の最近の報告書によると、ほとんどの米国人が常に追跡されていると感じており、それについて何もできないと感じている。これは、アドバーサリアル・ファッションの創業者のケイト・ローズが目にした現実とも一致する。
ローズが最初に自分のファッションを公開したとき、「需要はとても大きかった」という。以来、堅調に推移している。また「人々は監視に関する会話に参加したいだけでなく、自身の意見や将来への投資への関心を明らかにすることに飢えていました」と付け加える。ある特殊なタイプの服を着たり、化粧をしたりすることは、その無力感の明白な現れであり、他の人(の感情)に拍車をかけるためにも使用できる。個々の抗議は集団行動の代わりにはならないかもしれない、とローズはいう。しかし、集団行動ができないとき、特殊な服装や化粧は「政府がすべてを決定し、私には力がない」という考えに抵抗する。
そして、法廷闘争がますますこの会話を世間に広めている。2018年、ワシントンDCに本拠を置く無料法律事務所「ニュー・シビル・リバティーズ・アライアンス(NCLA:New Civil Liberties Alliance)」は自動ナンバープレート読取装置の使用を理由に、フロリダ州の小さな町コーラル・ゲーブルズ を訴えた。「これは、テクノロジーが法律よりも速く動き、憲法上の権利の解釈よりも速く動く状況の1つを現しています」とNCLAの弁護士カレブ・クルッケンバーグは話す。「もちろん、私の考えは、裁判所が介入することです」。しかし、裁判所が介入しない場合、こうした対策は監視システムに対して圧力をかけ続けるための1つの方法だと付け足した。
監視学者のモナハン博士のお気に入りの反監視パフォーマンス・アートの例は、必ずしも身に着ける物ではないという。たとえば、ベルギーのアーティスト、ドリース・デポーターの美術館にある「ジェイウォーキング(Jaywalking )」という装置は、訪問者がライブ監視カメラを見て、ジェイウォーカー(交通規則や信号を無視して道路を横断する人)を捕まえ、警察に報告するかどうかを決めさせる。「こういったことに関わることは、より大きな監視システムに加担する人々に(監視とはどういうことかを)示すのに適しています」とモナハン博士はいう。「ジェイウォーキングのような芸術作品が優れているのは、悩ませるからです。快適で、遊び心を感じさせるものではありません」。
バスキンにとって、フェイスIDマスクは「ジェイウォーキング」と同様の意図があった。バスキンはマスクのプロジェクトを「もっぱら、この種のディストピアなジョーク」として始めた。インターネット上での注目により、バスキンは、現実に有用な用途さえ持つこのマスクは、そうした意図を広めるのが実際に可能だと確信した。バスキンは、誰もかれもがことごとく自分のマスクを着用して公共の場に出ることには興味がない。だが、誰が、どのように監視をしているのかに関して透明性がきわめて低いことを考えると、「人々を、もう少し怖がらせるものなら何でもいいです」と話す。
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MIT Technology Review